エレミヤ書16章 主の裁き
「わたしがこの民から、わたしの平安を、また恵みと、あわれみを取り去ったからだ」エレミヤ書16:5
助産師永原のちょっと一言
これからエルサレムに起こる裁きを前に、主はエレミヤにしてはいけないことを告げます。それは孤独でいなさいということでした。それほどの惨事が繰り広げられると言うことです。と同時に捕囚から連れも出されることも主は語られています。しかしその前に人間をとる漁師が人々をとらえにくるのです。
新約聖書では人を捕る漁師と言えば、人を救いに導くために、主が召された弟子たちのことを指しますが、ここでは人を裁くために人を捕えるのです。裁きではなく、主の祝福のみ手に捕えられたいと思います。
聖書要約
主がエレミヤに言われました。「あなたは妻をめとり、子どもをもうけてはなりません。妻子が神の裁きによって死ぬのを見なくてよいように。また葬儀に列席してはいけません。主の祝福がなくなったのですから、人の死を丁寧に扱わなくなるでしょう。祝いの席に列席してもいけません。神の裁きによって喜びは瞬く間に嘆きに替わります。エレミヤがこの言葉を民に告げるなら、民は「なぜ主は我々に災いをもたらすのか」と問うでしょう。あなたは民に言いなさい。「あなたの先祖が神との約束を守らず、罪を犯したからです。またあなたたちも先祖以上にさらに重い罪を犯しています。だから主はあなたたちをあなたたちが知らない土地に連れて行きます」と。新しい出エジプト
主はこのような日が来るといわれます。それは「北の国に追いやられた者たちを再び約束の地に導かれた」とエジプトから導き出されたことを言わなくても、その日、主が生きておられることが明らかになるのです。
そのことが起こる前に主は漁師を遣わし、あなたたちを追い詰め、見つけ出し2倍の罰を与えられます。世界中の人が言うでしょう。「価値のない神を拝んだ先祖はなんとバカだったんでしょう。人間の造る神が本物であるはずがありません」と。民がこのことに気付いた時、民は私が神であることを知るでしょう。