ヨハネによる福音書7章 イエスがこの世に来られたのは…


「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水のが流れ出るようになります。」ヨハネ7:38

くぅ~ママのちょっと一言
ガリラヤでの最後の記事です。イエスの弟たちはイエスが奇跡を行うことばかりに気がとられて、イエスが来られた本当の意味を理解できなかったのです。迷える群衆に対しても、イエスは繰り返してご自分が神から遣わされていることや、父の下に帰ること、またイエスを信じる者たちに聖霊という最高の神の賜物が与えられることを語られましたが、人々は理解できませんでした。イエスの言葉を理解する一つの方法は、自分の固定観念を頭の中から一度取り除いて、聖書に書かれていることを私に悟らせて下さいと祈ることではないかと思います。きっと聖霊の導きがあるでしょう。

聖書要約
グッドイエスの兄弟たちの不信仰
イエスは命を狙われていたので、ユダヤ地方ではなく、ガリラヤをめぐっておられました。するとイエスの弟たちが「仮庵の祭りに都に行って、自分を公の場で表すべきだ」と言いました。弟たちでさえもイエスがメシアであることを信じていなかったのです。イエスは「わたしは世間の人々の痛いところを指摘するので、彼らから憎まれているので祭りには行かない。私の時はまだ来ていない」と言われました。
グッド仮庵祭でのイエス
その数日後、イエスもエルサレムに行かれました。群集の間ではイエスについて「良い人」と言う人もおれば「群集を惑わす者」と言う人もありました。祭りの半ばごろになってイエスは境内で教え始められました。「神のみ心を行おうとする者は、私が話していることが神から出たものである事が分かる。」また「モーセが与えた律法をあなた方は守っていない。なぜなら律法は『殺してはならない』と書かれているのに私を殺そうとしている」とイエスが言うと、ユダヤ人たちは「あなたは悪霊に取り付かれている。だれがあなたを殺そうとしているのか」と反論します。またイエス「モーセは安息日でも割礼を施したのだから、わたしが安息日に病気をいやしても腹を立てることはない」とうわべだけの裁きを避難されました。
グッドこの人はメシアか
人々は「イエスが公然と話すことができるのは、議員たちも彼がメシアだと認めているのだろうか」と言ったり「いや、ガリラヤ出身のイエスはメシアであるはずはない」と言ったりしました。イエスは「わたしの出身は皆が知っている通りだが、私は神から遣わされたものだ」と言われました。人々はイエスを捕えようとしましたが、手をかける者はいませんでした。その時が来ていなかったからです。
グッド下役たち、イエスの逮捕に向かう
イエスを捕えるために下役たちをイエスの下に行かせましたが、彼らは「わたしは、私を遣わした方の元へ行きます」というイエスの言葉が理解できませんでした
グッド生きた水の流れ
イエスを信じる者はその人の心の奥から生きた水が川となって流れ出るようになるとおっしゃいました。それは聖霊のことで、イエスを信じる者はみな与えられるのです。
グッド群集の間対立が生じる
イエスのことを巡って色んな意見が出され、群集の間で対立が起こりました。中には「メシアはベツレヘムから出るといわれている。メシアはガリラヤからは出ない」と言う者もいました。
ユダヤ人の指導者達の不信仰 捕らえようとした下役達はそれが出来ずに戻ってきます。「お前たちまで惑わされたのか」と叱責を受けていると、以前イエスを尋ねたニコデモが「まず本人から事情を聞くことが律法のやり方だ」と言いました。しかし彼らはガリラヤからは預言者はでないと言いました。