ヨシュア記9章 「主と戦う道と主にひれ伏す道」
「ご覧ください。今、私たちはあなたの手の中にあります。」ヨシュア記9:25
くぅ~ママのちょっと一言
神さまが聖絶せよといわれた民の中で生き延びたギブオンのことが説明されています。エリコのラハブ一族もそうでした。そのラハブはイエスの家系に名を連ねますし、このギブオンも神の近くで生きることが許されたのです。本当なら聖絶され、皆殺されるはずの人たちでした。
しかしそのラハブとギブオンは神の民に加えられたのです。その理由はラハブもギブオンも神に対して自らを開け放して神を主と告白したことによるのだと考えられます。
私たちも罪ゆえに裁かれて滅びる存在でした。その私たちが神を主と告白することで神の子とされ、神のご配慮の中で生きることを許される者となるのです。私たちは主と戦う道と主にひれ伏す道のどちらかを選ぶことが出来るのです。
ギブオン人の服従
エリコ周辺の王たちは連合してイスラエルと戦おうとしました。しかしギブオンの住民はエリコやアイの出来事を聞いて、勝ち目がないと悟り、策略をもって生き延びようと考え賢く立ち回りました。彼らは遠くから来た使者を装い、イスラエルと協定を結んだのです。使者は古びた身なりで、古びたぶどう酒の皮袋や固くなったパンを持ってイスラエルの指導者をだましました。ヨシュアは神に指示を求めることなく彼らと協定を結んでしまったのです。戦いになった時、神に誓って協定を結んだ為にギブオンの人々を殺すわけにはいきません。指導者はギブオン住民を呼び集め「なぜ欺いたのか」と聞くと、ギブオンの人々は「私たちはあなたの手中にあります。どのようにでもしてくださって結構です」と答えました。ヨシュアは彼らを殺すことを禁じ、神の選ばれた所で芝刈りや水汲みに従事させることとなり、それが今日まで続いているのです。