イザヤ50章…主の手が短かろうか

「わたしの手は短すぎて贖うことができず、わたしには救い出す力がないというのか。」50:2

くぅ~ママのちょっと一言
アッシリヤの脅威に怯えるイスラエルの人々にイザヤはその向こうにあるバビロン捕囚とそこからの解放の預言を伝えます。神はイスラエルの人々が神から離れた罪を認め、悔い改めることを望んでおられるのです。
しもべイザヤの忍耐は無抵抗で沈黙を守るイエスキリストの姿を預言的に表現しているように思えます。2節の「わたしの手は短すぎて贖うことができず、わたしには救い出す力がないというのか。」なんと力強いみことばでしょう。

聖書要約

あなたが今父なる神に見放されたような状態にあるのは、母なるイスラエルが父なる神に離縁状を渡されたからではない。また母なるイスラエルが借金の方に債権者に売り飛ばされたからでもない。それはあなた方の罪ゆえである。私の呼びかけに応答し、答えてみよ。
私に力がないので、あなた方を救えないとでも思うのか。私がそのつもりになれが大河を干上がらせることもできる。
主の僕の忍耐
主なる神は私に知恵の言葉を与えられました。疲れた人を励ますためです。神は私の理解力を増し、みこころを示してくださいます。私は神の声に耳を澄ませます。鞭うたれ、ひげを抜かれ、あざけりと唾をかけられても私は神の助けを信じているのでうろたえたりしません。それでも神の命令に従う覚悟があります。私を正しいと認めてくださる方がおられるのですから。神が味方である以上誰が私を罪に定めらことが出来るでしょう。返って私の敵がぼろぼろにされるだけです。あなたのうちに神の言葉を聞き従いたいと思うなら、神に頼り、神の言葉を信じなさい。神が暗闇に光を照らして下さるでしょう。神の光など必要ないという人には苦しみが待っています。