ネヘミヤ記5章 「覚えてくださる神」

「私の神よ。どうか私がこの民のためにしたすべてのことを覚えて、私をいつくしんでください。」ネヘミヤ記5:19

くぅ~ママのちょっと一言
敵は外だけではなく内にもあったのです。ユダ同志の間での搾取です。ネヘミヤはそのことを正し、自ら犠牲を負って、民と神とに仕える生き方を示しました。
私たちは他の人に対して自らが犠牲になることをすることは大変難しいです。しかし私と他の人の間に主(神)を介することでそれが可能となります。神が望んでおられる事は何なのかと考えるのです。神は私たちに「隣人を愛しなさい」と教えられましたので、他の人が喜ぶこと(そのことは神が喜ばれることでなければなりませんが)をすることを神が喜んでくださるのです。そう思うことによって、私たちは犠牲の愛を実践することが可能となります。また自分が神の愛のご配慮の中で生かされているかを思うときに、人に対して何かしらの愛の行動を取ることができるのです。

聖書要約
民の不正の解消
外敵を警戒しながら、城壁の再建に取り組んでいる最中、子どもを抱えた者たちから暴利をむさぼっている金持ち達に対して抗議の声が上がりました。裕福な貴族や役人に高利で金を借り、挙句の果てに子どもを奴隷にしなければならないほど生活に困窮していたのです。ネヘミヤはそれを聞き、集会を開いて「奴隷から買い戻された者たちをまた奴隷にするつもりか。それが神を畏れて生きているもののすることか」と貴族や高官に言ったのです。彼らはそれに答えて負債を帳消しにして土地や子どもたちを返すことを約束しました。ネヘミヤは神にもしこのことを行わなかったら神がその者を無一文にしてくださるようにと祈ったのです。会衆はアーメンと唱えました。
ネヘミヤはアルタクセルクセスの治世20年から32年の12年間、ユダの長官に任命されましたが、その間給与を受け取りませんでした。前任者は多額の給与を受け取り、民の生活を圧迫していました。ネヘミヤは部下と共に工事に励み、その上役人の食料や外国人のもてなしなどもネヘミヤが整えたのです。それ程民の生活は困窮していました。ネヘミヤは主に「私がした民への心づくしを心に留めて祝してください」と祈りました。