ネヘミヤ記9章 「苦境の祈り」

「イスラエルの子孫はすべての異国の人々と関係を絶ち、立ち上がって、自分たちの罪と先祖の咎を告白した。」ネヘミヤ記9:2

くぅ~ママのちょっと一言
イスラエルの民は罪を告白して祈りました。祈りは歴史を振り返ります。それは繰り返し神に背いてきた民を、神は繰り返し赦してくださったことへの感謝の祈りでした。そして祈りの最後には神への願いが込められています。捕囚から帰還し、神殿と城壁が再建され、礼拝を捧げることが出来たが、今なお、ペルシャの支配下にあるユダヤの独立を神に願っているのです。自由に生きることが出来る事はなんて素晴らしいことかと思います。自分らしく、喜びをもって礼拝を守りたい。祈り手が苦境と祈ったのはそのところにあるのだと思います。

聖書要約
罪の告白
その月の24日(10月9日)にはイスラエルの人々は集まって断食をして粗布をまとって、土をかぶりました。異民族との関係を絶ち、先祖から犯してきた罪を告白しました。その日1日の4分の1は律法が朗読され、もう4分の1は主のみ前にひれ伏して罪を告白しました。レビ人は台の上に上がり神を讃美し、会衆にも勧めました。
そして祈りが献げられました。「栄光ある御名が崇められますように。万物に命を与えられる方。天の軍勢もあなにひれ伏します。あなたは父祖アブラハムに子孫の繁栄と約束の地が与えられることを約束されました。また奴隷の身となり、苦しむ民をエジプトから脱出させてくださいました。40年間の荒野の旅を神は大いなる奇跡の数々をもって導かれ、シナイ山では律法を授け、民に掟と戒めを布告されました。ところが民は掟に従わなかったり、エジプトに戻ろうと考えたりしました。しかし神は忍耐強く、昼は雲の柱、夜は火の柱で導かれたのです。そしてついに神は約束の地カナンをお与えになりました。肥沃な地で美味しいものを食べ、城壁に囲まれた所で安定した生活を与えられたのです。しかし人々はこともあろうに神の掟を忘れてしまったのです。神は民を敵の手にお渡しになりました。民は苦しみの中で神に救いを求めたので、神は助け手を送ってくださいました。しかし平穏になるとまた民は神のみ前に悪を行ったのです。幾たびとなく神に背く民を神は忍耐して見捨てる事はなさいませんでした。
そして今また我々は神に背いてしまいました。先祖に与えられたこの肥沃な土地にあって我々は奴隷にされているのです。我々は大いなる苦境の中にいるのです」