イザヤ書49章 主の手の平に刻まれた名
「たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。」イザヤ書49:15
助産師永原のちょっと一言
49章から第2イザヤと言われる部分の後半です。これまでに述べられてきたバビロン捕囚の預言に加えて、その後の使命が与えられます。それは諸国の民の光となり、地の果てにまで、主の救いをもたらすことです。主の僕とはイスラエル全体を表すとともに、来るべきメシア、主なるキリストを示すとも考えられるとのことです。母が子を忘れることはないが、それ以上に主は私たちのことを覚えていてくださるという神からの愛のメッセージが語られています。
聖書要約主の僕の使命
遠い国々の皆さん、私の言うことを聞きなさい。神さまは私が母の胎にいる時から私を呼び、神さまの言葉を告げる者として用いられました。ちょうど神さまの矢筒の中にある鋭い矢のようにです。
神は私に「あなたは私の僕、私の素晴らしさを示す者です」と言われました。しかし私は思いました。「今まで私がしたことはことごとく失敗しました。すっかり力を使い果たしました。どうぞおこころのままにお報い下さい」と。しかしイスラエルの回復のために私を特別に目にかけてくださった主はさらに言われます。「あなたはイスラエルを捕囚から立ち返らせるだけではなく、国々に救いの光を放つ役割があるのです」と。
主は人に侮られ、さげすまれている者、のけ者にされている者、王に服従を強いられている者を慰められます。私が通ると王や諸侯は敬意をこめて立ち上がり、ひれ伏します。主があなたを選ばれたからです。
主は「あなたはちょうどよい時に私に願いごとをした。私はそれに応える。私はあなたに危害が及ばない前にあなたを守り、イスラエルの約束のしるしとして、国を再建しそこに住まわせる。身をかがめて生きてきた者たちに自由を与え、呼び返す。」と言われます。シオンの回復
家畜が牧草で草を食べ、空腹も渇きも灼熱も二度とない。神が彼らを導かれるから。天よ喜べ、地よ喜び踊れ、山々よ歌を響かせよ。悲しみに沈んでいたイスラエルの民を主が慰められるから。ところがあなたたちは言います「私たちは主に見捨てられた」と。しかし主は「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも わたしはあなたたちを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたを わたしの手のひらに刻みつける」と言われる。あなたの城壁は崩した者が来たときよりも、もっと速やかに再建する者がやってきて建てなおす。荒れたた土地は回復し、人々が集められ、その土地が狭く感じるほどになる。沢山の物たちが殺害され、捕囚の民とされ、わずかな者しか残されなかったというのに。諸国の王や王妃があなたたちに仕えるでしょう。その時あなたたちは私が神であることを知るようになるでしょう。私に望みを置く者は決して恥いることはない。勇士や暴君から誰が囚われた人を救いだせるでしょうか。主はそれをしてくださる。敵は自分の肉を食べ、自分の血を飲んで酔う。こうして世界中の者が私があなたたちの救い主、イスラエルの力強い神であることを知るようになるだろう。