ルカによる福音書16章 小さな愛の業からはじめよう。


「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。」ルカ16:10

くぅ~ママのちょっと一言
管理職を奪われるという迫りくる危機を深刻に受け止め、必死で策を講じている姿が、終末に際して、危機感を持ち、帳尻あわせでもいいから、神の国に入る備えをするようにという勧めのように思います。証文を書き変えたという手法にとらわれないようにしなければならないと思います。
「律法と神の国」では「自分の功績によって(律法的生き方)神の国に入ろうとしても無理なこと。律法の時代はヨハネを境として終わりを告げ、神の国の福音の時代がやってきていると教えています。
「金持ちとラザロ」では死後の世界が書かれています。金持ちが地獄に落ちた原因は自分に与えられた財産を自分のものと思って、自分の楽しみだけのために使ったことでした。金持ちは与えられたものに対して神に感謝し、その恵みを人々に分かち合わなければならなかったのです。また死に際してどのように生きてきたかを清算しなければならないことをこの個所は教えています。どんなにお金持ちであっても、どんなに人々の尊敬を受けても、『神の前にどう生きたか』で死後に地獄に行くか、天国に行くか分かれるというのです。私達は聖書からその厳粛さを知らなければならないと思うのです。

聖書要約
グッド不正な管理人のたとえ
イエスは弟子たちにたとえ話をされました。「主人に『あなたの財産管理人は不正をしている』と告げ口をする者があった。主人に指摘された管理人は職を失う前に、主人に借金をしている人を呼んで、証書を書き換えた。自分が職を失った時に助けてくれるようにと考えたのだった。これを知った主人は管理人の賢さを褒めた」確かに、この世の人たちは神を信じる人たちよりずっと抜け目がありません。「不正の富を用いても親しい友を作りなさい。小さなことに忠実な人は大きなことにも忠実です。小さなことに不誠実な人は、大きなことを任されてもそれを果たすことができない。この世の富みも任せられない者に、どうして天にある本当の富を任せられるだろうか。他人の富みに忠実でなかったら、あなた方は自分の富みも任せられない」またイエスは言われました。「神と富とに仕えることはできない」と。
グッド律法と神の国
ファリサイ派の人々がこれを聞いてイエスをあざ笑いました。そこでイエスは言われました。「あなた方は自分の正しさを見せびらかすが、神はあなた方の心をお見通しだ。人に称賛を受けても、神はあなた方を憎まれる。ヨハネが現れるまでは、律法があなた方の指針だったが、それ以降は神のすばらしい知らせが宣べ伝えられ、大勢の人がなにがなんでもそこに入ろうとしている。しかし律法が効力を失ったわけではない」と
グッド金持ちとラザロ
「ある金持ちがいた。上等の服を着て、毎日贅沢に遊び暮らしていた。金持ちの門前にラザロというできものだらけの貧しい人が金持ちの食べ残しにでもありつきたいと、横たわっていた。やがてラザロは死んで天使たちにアブラハムの側に連れて行かれた。金持ちも死んだが、魂は地獄に落ちた。苦しみ喘ぎながら上を見ると、ラザロが見えた。金持ちは『アブラハムさん、ラザロをよこして、指先を水に浸して私の下を冷やしてください』と。アブラハムは『こちらとそちらの間には深い淵があって、行き気出来ない』と言った。すると金持ちは『ラザロを私の兄弟のところに遣わしてこんなところに来ることがないように言い聞かせてやってほしい』と言いました。しかしアブラハムは言った。『モーセや預言者の言葉に耳を傾けない者は、たとえ死者から生き返った者が言っても聞き入れないだろう』と。」