Ⅱコリント人への手紙9章 与えることに喜びがある

「わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。」Ⅱコリント9:6

助産師永原のちょっと一言
パウロはマケドニア州でコリントの人々の献金の姿勢を自慢していました。3人を遣わすのはその期待通りであることを確かめてもらうためです。しかしコリントの人々の計画立案はすばらしいものでしたが、実行についてはパウロは心もとないと感じていました。そこで献金がもたらす祝福についてコリントの人々に語ったのです。義理から仕方なく献金するのではなく、自発的に捧げるようにと。神は喜んで与える者を愛されるのです。
私たちの教会では以前インドのスラム街で子どもたちに、食事と学びを提供する為に奮闘している宣教師に「バイク」を贈るというビジョンが与えられ、このことを重荷に感じた人たちによって、献金が集められました。この愛の奉げ物によって、どれほど多くの子どもたちのお腹が満たされ、笑顔が増えるでしょう。そう考えると、差し出すことによって、差し出す者の喜びが何倍にも増えることに気がつきます。献金は自分の持っているものがただ単に減ることではなく、恵が増えて戻ってくることだと思います。また持っているものは、本来自分のものではなく、神様から与えられたものです。その一部を神さまにお返しして、主の必要なことのために使っていただくということなのです。献金は神からの恵を頂く条件ではありませんが、神への感謝と信頼のバロメーターではあると思います。

聖書要約
グッドエルサレムの信徒たちのための献金
この献金についてはこれ以上書く必要はないでしょう。あなた方の熱心さは良く分かっています。あなた方が1年も前から献金の準備を進めていることを、わたしはマケドニアの友人たちに誇ってきました。その影響を受けて多くの人が援助を始めたいという気持ちになったのです。わたしの誇っていることが現実のことかどうか、すなわち、実際に献金を集めているかどうか確かめてもらうために友人を遣わしました。もし用意できていなかったら、信じ切っていた私は大変失望するでしょう。計画通りのものが用意されているようい。それも強制されたものではなく心からのものであるようにと願っているのです。つまり、沢山種を蒔く農夫が豊かに刈り入れをするように、沢山与える者が沢山与えられます。そして幾ら奉げるかは、人が決めるのではなく、各自が決めることです。大切なのは喜んで奉げているかです。神さまは必要なものを与えてくださり、なおも豊かに与えてくださるので他の人にも喜んで分けることができます。農夫に種をあたえてくださる神はあなた方にも蒔く種をもっと与えてくださり、収穫の実をもっと増やしてくださいます。神に沢山のものを頂いたあなた達は人にも沢山贈ることができるのです。そのとき感謝と讃美が湧き上がります。このことを通して素晴らしい結果を生み出します。それは困っている人が実際助けられることと、その贈り物を通して神に対して感謝の気持ちが起ってくることです。またあなた方を通して神の素晴らしい恵を知ることになるでしょう。あなた達のために祈ってくれるようにもなるでしょう。何よりも神の一人子イエスキリストを私たちに贈ってくださった神様に感謝したいと思います。