Ⅰヨハネの手紙2章 神から与えられる命は永遠に続く

「世も世にある欲も、過ぎ去っていきます。しかし、神の世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。」Ⅰヨハネ2:17

助産師永原のちょっと一言
私の子達よと、ヨハネは親しみを込めて呼びかけます。ヨハネが年老いていたことと、霊的な父として、こう信徒達に呼びかけたのでしょう。この手紙は「あなた方が罪を犯さないため」と書かれたと執筆の目的が示されています。1章で書かれていた「交わりを保ちなさい。」そして「全き喜びを持ちなさい」この3つがヨハネの手紙の主題ということです。罪を犯したなら、真の交わりは保てないし、喜びもないというわけです。聖書いう罪とは、この社会のルールに違反することももちろんですが、神の教えを守らないことも罪です。神に背を向けること、人間同士が背を向けること、自己中心を罪と言います。そう考えると日々罪を犯す自分を認めざるを得ません。しかし十字架の贖いにより、日々赦されていることはなんと感謝なことでしょう。
 子たちよ、父たちよ、若者達よ、と言う呼びかけが2度ずつ続きます。これは霊的な成長を表しているということです。そしてそれぞれの立場の人に「罪が赦された」「神を知っている」「悪なるものに打ち勝った」ということが繰り返されています。彼らが到達した立場を再確認させようと書かれているとのこと。そして世にあるものを愛してはいけません。世にあるものは過ぎ去っていきますが、神の教えを守る人のいのちは永遠に続きますとヨハネは言います。

聖書要約
弁護者キリスト
私の子達よ、わたしが手紙を書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もし罪を犯しても神の前で私達を弁護してくださる方がおられます。その方が私達の罪に対する神の怒りを一身に受けて十字架にかかられたイエスキリストです。全世界の救いのために十字架にかかられたのです。私達が神に属しているということを証明する方法は、神の教えを実行しているかどうか、神を愛しているかどうかということです。自分は神に属していると言う者はイエスが歩まれたように歩むべきです。
新しい掟
愛する皆さん、わたしが書いているのは、前からある神の教えではありますが、新しい教えとして書いています。旧約聖書のレビ記19:18に書かれている「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」という教えを守り、互いに愛し合いするとき、暗闇は逃げ去り、新しいいのちの光が輝きます。光の中を歩んでいると言いながら隣人を憎む者は暗闇をさまよう者です。
子たちよ、父たちよ、若者達よ、あなたたちの罪は赦されたのです。あなたたちは神を知っています。そして悪なるものに打ち勝ったのです。だから世にあるものを愛してはいけません。世にあるものは過ぎ去っていきますが、神の教えを守る人のいのちは永遠に続きます。
反キリスト
子たちよ、この世の終わりが近づいています。それはキリストに敵対するものが多く現れていることで分かります。それらの人たちはクリスチャンの振りをしていましたが、私達から離れていきました。私達は神の力である聖霊を与えられて、真理を教えられていますが、ただ本物と偽者を区別するように、尚注意しなさい。一番の反キリストは神と御子イエスキリストを信じないものです。信じる者は、父なる神を自分の父とすることができます。初めに教えられたことをただ信じ続けなさい。間違った教えにだまされないようにしなさい。あなた方の内には聖霊が働かれているのですから、その導きに従いなさい。主イエスキリストから離れてはいけません。再臨のイエス様に会う時に恥じることがないように、神の教えを守り、正しい行いをしなさい。正しく生きていることが神に属することの証明となるのです。