いまだかつて体験したことのないコロナ禍で…

MBさん

マナ助産院で出産して 

2021年1月18日 午前5時49分誕生

いまだかつて体験したことのないコロナ禍で全国に緊急事態宣言がだされて生活のリズムが一変したなかで、ふわり、と私たちの家族に舞い降りてきたちいさないのち。

宇宙からの大きなサプライズに喜んだのは束の間、社会的に不安的なときで医療体勢はひっ迫、出産も立ち会い不可・マスク着用などのネガティブな情報ばかり。

また、私にとっては、1人目の娘が3歳になってこれから本格的に仕事を再開していこうと準備していたときだったので妊娠は予定外・・ということではじめは正直、戸惑い混乱しました。

しかし、コロナによって、以前のように自由に移動をともなう仕事ができない世界情勢。自分の年齢のことも考えると、実は一番ベストなタイミングでいのちを授かれたのだということに後になって気がつきました。

会社員の主人の仕事も在宅がメインになったのも、以前では考えられす、妊娠中から1人目の育児のサポートをたくさんもらえてとてもありがたかったです。(そのぶん、パパは家庭と仕事の境界があいまいになって大変なストレスだったね。。。)

そして、なによりも、妊娠の発覚したタイミングが、病気をほとんどしなくて健康だった93歳の祖母の、なんてことはない帯状疱疹だと思っていたのが、髄膜炎につながり、容態急変、生死を彷徨っている時期でもありました。

こちらは、提携病院にて赤ちゃんの心拍が確認されて「おめでとうございます」と祝福され、存在しているちいさないのちのたしかな鼓動に心から「ほっ」としたその晩・・

祖母のいのちは数日間の苦しみから解き放たれて肉体を離れていきました。

(コロナ禍で一度もお見舞いにいってあげられなかったことには今も涙が出そうです。)

このようなたくさんの不思議な巡り合わせで、授かった「いのち」との出会いはなんだか自分の計画とか小さなエゴを超えたところからきていて、とても神秘的な旅のはじまりでした。

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幸いなことに妊娠の経過は、貧血の値が最後に低くなっていたこと以外は、ほぼほぼ順調。

安定期以降は以前よりも自宅でできる仕事が、いい意味で循環しだして、妊婦であることを生かしつつ、ライフワークのセラピーのお仕事や自分なりの学び・研究が無理のない形で臨月までできて、(いろんなことがオンライン化したのもラッキーだった!)充実した時間を過ごすことができました。それを可能にしてくれたおなかの元気な赤ちゃんのご協力に心から感謝!

そしていよいよ出産の時期・・マナ助産院には1人目のときからお世話になっていて、永原さんともイベントでご一緒させていただいたりご縁が続いていたので、自分にとっては尊敬する大好きな人が待ってくれている懐かしい家(場所)に里帰りするような気持ちでとても楽しみでした。

予定日8日前の妊婦検診の帰り道、「もう次の妊婦検診で最後かな~」と妊娠生活の残り少なさ、そしてこのふかふかの大きなずっしりお腹の感覚を名残惜しく思ったりしているうちに、おしるしを発見!

「ついにいよいよか~~」と思っているうちに、どんどんと下の方に赤ちゃんが降りてきている感覚も。

そして徐々に生理痛のようなものが定期的に来ていることに気が付き、連続してくる間隔をはかってみると定期的になっていてさらにはどんどん短くなってきている・・!

マナさんに電話してみたら、「経産婦さんなので進みが早いこともあるのですぐにきてください」といわれて慌てて準備。

このとき3歳の娘が、「ママ慌てなくていいからね~時間はあるからね、だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ。」と天使モードになってテンパる母と父を落ち着かせてくれたのがとても印象的でほっとしました。

そして、助産院に日が変わる直前の深夜到着。

しかし、気がつけば定期的にきていたお腹の張りや痛みが弱くなっていて・・さきほどまでの痛みは陣痛ではなくて前駆陣痛であることがわかり、その日はそのまま休んで次の日の朝に一度自宅に戻ることになりました。(娘の予言通り?!)

「あんまり旅行もできなくなってたから、なんだかマナさんに家族旅行に来たみたいだね」と主人に呑気に言われながら(こっちは経産婦なのにフライングしてしまって恥ずかしいし、乗り越えた痛みが意味なかったみたいで、気持ち的には結構大変なんですけど。。と思いつつ)、翌朝には体力回復し、帰路では娘に今のうちにサービス・・と思って、極寒のなかしあわせの村のポニーに乗せてあげたりと、束の間のほのぼのとした時間を過ごしました。

主人にも彼が気になっていたトレーナー( Waiting for the Waveのロゴ入り・・笑)をお気に入りのお店によって購入させたり、「ラストスパートで家族孝行できたな~」とほっとして自宅に帰宅。

そして休むことわずかな間に日没とともにまたあの痛みが・・。

今度はフライングしないぞ、と心に決めつつ、、痛みの段階も雰囲気も昨日とは桁違い。。間隔もまたどんどん短くなってきている・・

「やっぱりこれが本陣痛なのか・・?!」と思ってマナさんに連絡して再び向かうことに。

しかーし、また永原さんに会ってモニターをつけるとほっとするのが影響するのか、なんだかさっきまでの痛みが大したことなくなっていて、子宮口も昨日から変化なく、1センチから全く開いていないとのこと。

「やっぱり今の状態では本当の陣痛かわからないわ~お産ってこんなものやから気落ちしないでね。今夜は眠る方向でいきましょう。」といわれトホホ。。

(お産ってほんとよくわからなーい。あれだけ痛いと思ってたのも陣痛じゃないなんて。。もうどうにでもなれ~。。)と諦めて部屋に戻って休んでいるうちに、また痛みが復活。

そして痛みもどんどんと強くなって、今まで感じてた痛みだと思ってたものなんて大したことがなかったんだ、と悟る壮絶な大波がどんどんと押し寄せてくるくるようになって、、、。

前回の4年前に30数時間苦しんだ本物の陣痛の記憶を徐々に思い出しつつ、あんなに苦しかったトラウマを忘却できるようになっている生命の種の維持の仕組みに密かに感嘆しつつ、「もう2度とお産はごめんだ~!!」と、、、ここからは修羅場のような時間を過ごしていました。

知り合いの助産師さんが、「お産のときは遠慮せず思いっきり自分を出した方がいいよ、やり切るとその後の肥立ちもいいし、産後うつなどにもなりにくいからね」といわれていたので、今回は痛みをためこまないで声で発散したりしていました。うるさくてすいません。。

前回ははじめの方は主人に立ち会ってもらいながらも、彼の疲れた様子に、助産師さんが気を利かせて「ちょっとお休みされたらどうですか・・」といってくれてからどんどん私のお産が進んでいったという経緯がありました。

でも今回は主人に「こうして、ああして、そこじゃなくてここ~」と事細かく指示、命令?!させてもらいながら背中やおしりを押してもらいながらずっと最後まで根気強く寄り添ってもえらえたのは本当に心強かったし、今思えば、主人の最近のストレス過剰によって微妙になっていた夫婦仲がよくなるきっかけとなりました。

また絶叫しているママの横で、一度も目覚めることなくすやすやと熟睡してくれている娘にも天使かなにかがついて守ってくれているのかなという感じでした。(甘えん坊の娘が、起きてしまっていたら集中できなかったはず・・)

そして、はじめは子宮口1センチの壁から前に進めず、いつまで続くかわからない激痛からも逃れられないことに泣いたり、弱音をはいたりもしていましたが、だんだん時間がたつにつれて1回目の陣痛のときに学んだ力を抜くタイミングの記憶が戻ってきたり、痛みを抜きやすい姿勢とかがわかってきました。

私の呼吸の仕方も主人のサポートも上手になって、ただただ逃げたかった痛みと対峙するのではなく、直面して付き合うことにほんの少しだけ慣れてきました。

そうすると、陣痛の波待ちのほんの一瞬の間に、広い大きな海にぷかぷかと浮かんでいるというイメージをすると意識が変わり、身体が緩むことに気がつきました。

そして次の波がくる瞬間、自分の子宮が宇宙かどこか遠い彼方からエネルギーを受け取っていて、それが陣痛の波としてうねりになって、全身の細胞を通過していくのを感じました。

それを呼吸を通じて下へ、下へ、骨盤を通って地球におろしていくイメージになってきました。そうすることで、宇宙とつながっている赤ちゃんも一緒に少しずつこの地球に舞い降りてきてくれる感じがしてきました。

そうすると、今まで自分は痛みの被害者だと思っていたけど、なんだかわからないけど、すべてに対して、「ありがとう、愛しています」という思いが湧き上がってきて、、

それを心の中で意識したり、言葉としてつぶやいていたら、今まで苦痛でしかなかった痛みのエネルギーが、気がつけば、ただの痛みだけではない感覚になっていることに気がつきました。

そうこうしているうちにパチンと破水して、そこからさらに少し力が抜きやすくなってきました。さらに赤ちゃんが下に降りていって腰のあたりが開いていっている感覚がはっきり感じられました。

案の定、子宮口も開き出しているとのこと!!ようやく!!!!!!

子宮口8センチになってからお産のお部屋まで移動が足腰に全く力が入らなくなっていたので苦行のようでしたが、待ってくれている永原さんの後光がさしているようなお姿がみれて(笑)、「ようやく会えた~~~」心からほっとしたのも束の間、、違う環境になって慣れないお部屋の冷たさや光の刺激に身体が反応してまた一段とすごい陣痛がどんどんときて、意識が飛びそうな感じでした。

とはいえなんとかお産の体勢になって永原さんの「いきんでいいよ」の声が聞こえて、とにかく力を出し切ったら、「もう、次で赤ちゃん出てくるよ~」と天の声が・・

そしてあっという間に「オギャー!!!」の産声とともに赤ちゃんがぐにょんとでてきてくれました。

ただただ痛みが終わったことが信じられない気持ちとともに、赤ちゃんとの感動の感動の対面を果たすことができました。

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最近アメリカで製作された映画で知った「オーガズミックバース」という言葉が気になっていたのですが、私なりの解釈では、単に痛みがなくてセックスの快感のように気持ちがいいお産のことをオーガズミックというのだとを思ってました。

しかし今感じるのはそれだけではない次元。

それは、お産によるこの世的なすべてのコントロール(思考や体裁など・・)が手放されるくらいの限界の痛み(のようなもの)を全身全霊で体験するイニシエーションのプロセスが転じて、赤ちゃんの存在によって途方もなく大きな愛情に変容・昇華されることに導かれること。

それは個人を超えてユニバーサルな大きくて深い「いのち」の感覚とつながっていく快感であり、それ自体をオーガズミックというのかなのかなと思います。

それは母になった女性が出産を通して赤ちゃんから、そして一緒にこのお産の旅に寄り添ってもらった助産師さんや家族からもらう「ギフト」。

それがこの先の新しいいのちを育む母親として、また1人の人間として成長していく新たな旅立ちにつながっていくー。

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このような内的な体験を自分のなかでできたのも、マナ助産院で永原さんをはじめとする絶対的に信頼できる助産師さんたちに守ってもらいながらのお産だったからだと思います。

その後は助産師のみなさまに大切にしてもらいながら、おっぱいのことなど気になることはなんでも相談させてもらって、出会ったばかりの赤ちゃんに恋に落ちながら、ともに幸せな入院生活を送らせていただいています。

またここに戻ってきたいからもう1人もありかな・・なんてもうちゃっかり思ってしまったりするくらいです。。(笑)

本当に本当にどうもありがとうございました。

PS:助産院と同時並行で「ちいさないのちのドア」で、いのちを救う働きをされている永原さんのお姿を時々見かけることは女性としてとても大きなインスピレーションです。この素晴らしい場所の恩恵がより多くの人と分かち合っていかれますようにお祈りしています・・。