12年ぶりの妊娠がわかった時
MT様
2020年4月11日
12年ぶりに妊娠がわかった時、まず思ったのは「自分の力で意志をもって産みたい」ということでした。長女の出産時は実家近くの総合病院で、陣痛促進剤を使い2泊三日の痛みに耐えながらも、最後は鉗子を使い、看護師さんがお腹に乗って押してもらう壮絶なお産で、私の回復も長くかかりました。
今回は、お医者さんまかせではなく、自分で体の管理や意識をしっかり持つこと、出産に向けて心と身体を整えることを心がけたいと考えていました。夫の希望で、バーストラウマが少ないといわれる水中分娩にチャレンジしたいと思い、マナ助産院さんを見つけました。
大きな病院で明るい蛍光灯にてらされ、決まった姿勢で行うお産とは真逆の暖かい雰囲気、そして永原さんのお産に対する考えになにより共感したことが決め手でした。
妊娠期間はきわめて順調で、臨月に入るまではヨガの指導を続け、呼吸法も練習して出産に備えました。心の上でも、出産をこわいと思わないこと、人生最大の痛みであっても、それを越えて自分を開くからこそ最大の喜び=赤ちゃんに会えるのだと思い、できるだけリラックスして過ごしました。
37週に入ってからは、体の重さが辛く「早く産みたい」と思っていましたが、私の期待をよそに、ほぼ何の兆候もなく39週に入りました。予定日が主人の誕生日と1日違いだったので「もしや」と思っていましたが、本当に日付が変わり主人の誕生日になってから破水。タクシーの中で陣痛がはじまりました。
最初の6時間は余裕があり、主人と娘と談笑しながら過ごしました。陣痛が強くなりお部屋を移動してからの痛みは、2回目といえどもやはり言葉では表せないものでした。それでも助産婦さんが優しく力を抜くようにずっと指導してくださり、また主人と娘がずっとそばにいてくれたことがはげみになりました。
大きな赤ちゃんで、特に肩幅があったようで、思ったよりも長くかかりました。毎回いきむたびにクタクタになり、もうムリ、と思いながらも、永原さんがおだやかに優しく「赤ちゃんおいで~おいで~ありがとう」とおっしゃっているのが聞こえ、何か生命の儀式のような神聖な気もちになりました。心痛が弱まってしまい、このままでは難しいかな?と心配になりつつも最後の力をふりしぼって息子が産まれてくれたのは、まさに主人の誕生時間と同じでした。
「自分の力で産みたい」そう思って選んだマナ助産院さんでしたが、実際はもっとすばらしいお産でした。それは3人の助産婦さん、主人、娘、私の全員の共同作業として、息子を喜びでむかえられたことです。
産後は私の貧血があり授乳がうまくいかず不安になりましたが、そのたびに経験豊かな助産婦さんのサポートで本当に助かりました。助産婦さんというお仕事は本当に神聖で愛にあふれたものだと思います。マナ助産院で出産できたこと、心から感謝しています。