出エジプト記11章 人と人との間に立たれる主

は、エジプトがこの民に好意を持つようにされた。」出エジプト11:3


くぅ~ママのちょっと一言

ファラオの心が頑なになったのも、エジプト人がイスラエル人に好意を持ったのも神のなさったことでした。私たちは人間関係の難しさを感じることがしばしばありますが、相手を直接見て、腹を立てたり、非難したり、落ち込んだりするのではなく、神を仰ぎ見ることによって心に平安を得ることができます。それは神がそうされたということは必ずそこには意味があると言うことに目を止めたいのです。そしてそのことが神に栄光を帰するためのことであると確信すれば、敵対するような相手に対しても憎む気持ちが軽くなり、やがて憎しみは消え去っていくことでしょう。くぅ~ママ
助産師永原のちょっと一言

ファラオの心が頑なになったのも、エジプト人がイスラエル人に好意を持ったのも神のなさったことでした。私たちは人間関係の難しさを感じることがしばしばありますが、相手を直接見て、腹を立てたり、非難したり、落ち込んだりするのではなく、神を仰ぎ見ることによって心に平安を得ることができます。それは神がそうされたということは必ずそこには意味があると言うことに目を止めたいのです。そしてそのことが神に栄光を帰するためのことであると確信すれば、敵対するような相手に対しても憎む気持ちが軽くなり、やがて憎しみは消え去っていくことでしょう。

最後の災い
神はモーセに言われました。「わたしはもう一つの災いをファラオとエジプトに下す。その後、王はイスラエル人をこの国から追い出す。その時エジプト人の隣人から金銀や高価な飾り物を求めるがよい」と。神がエジプト人がイスラエル人に好意を示すように計らってくださるからだというのです。モーセもエジプト国民や王の役人からは尊敬を受けていたとのことです。

モーセはファラオに言いました。「真夜中に神がエジプトを通り過ぎられる。その時、王から奴隷または家畜にいたるまで、その長子は皆死ぬ。しかしイスラエルの民はこの災いから免れる。そこでエジプト人とイスラエル人ははっきりと区別される。その時、あなたは私たちに『出て行って下さい』とひれ伏して頼むでしょう。」と。それでも王は心をかたくなにして民を去らせようとはしませんでした。神がそうされたのです。