ヨシュア記22章 「感謝の極み」

ルベン族とガド族はその祭壇に「これは私たちの間での、が神であることの証しだ」と言って名をつけた。」ヨシュア記22:34

助産師永原のちょっと一言

ルベン、ガド、マナセの半部族は戦いが終わり、ヨシュアに祝福を祈られて、戦利品をも分け与えられて、妻子が待つ地に帰っていきました。彼らはヨルダン川を渡る前のゲリロトの地に記念碑を建てました。これを見たヨシュアはじめ、イスラエルの人々は神への背信行為だと、祭司エルアザルの子ピネハスと各部族の指導者が忠告に行きました。

しかしこの行為は背信行為どころか、大いに信仰に燃えていたことが分かります。ルベンとガド、マナセの半部族が記念碑を建てようとしたのもその表れですし、ピネハスたちが背信行為ならばすぐに止めさせようとした行動もその現われでしょう。

私たちにも思い当たることがあります。神への思いが高まれば、何かをせずにはおれなくなります。また、み心でないことを見抜く心も研ぎ澄まされてきます。なによりも単純に争うのではなく、ピネハスたちがしたように平和な解決を見出すことが出来ます。健全な信仰とはそのようなものではないでしょうか。

聖書要約
ヨルダン川東岸諸部族の帰還
ヨシュアはルベン、ガド、マナセの半部族を呼び寄せて祝福し、戦利品を分け与えて、妻子が待つ地に帰えるように促しました。ただ神の戒めと教えを忠実に守り、神にかたく信頼し、心を尽くし、魂を尽くして神に仕えなさいと言って送りだしました。ところが帰路に就いた彼らはヨルダン川を渡る前のゲリロトの地に、だれの目にもとまるほどの祭壇をかたどった記念碑を建てたのです。それを聞いた西側に住むイスラエルの人々はシロに集まってその記念碑を建てたことは神への背信行為ではないかと、軍を差し向けようとしたのです。その前に祭司と部族の代表がルベン、ガド、マナセの半部族の元に行って忠告することになりました。「このようにした事は神への背信行為であり、それによってイスラエル全体に神のみ怒りが下るでしょう」と。しかしルベンとガド、マナセの半部族の人々は「この記念碑は神に逆らうために建てたのではなく、将来自分達の子ども達が「あなた方は神とは何の関係もない」と言われることがないように。またあなた達の子どもが私たちの子どもに神を畏れる事を止めさせることがないように記念碑を建てたのです。」と言いました。祭壇は献げ物のためではなく、あなた方と私たちの間柄を示す証拠となるためのものですと説明したのです。それを聞いた祭司と部族の代表は神への背信行為でないことを認め、帰っていってその報告をしたのです。そしてルベン、ガド、マナセの半部族を攻め上る事はありませんでした。そしてこの祭壇を「私たちの間では主が神である事の証人」と名付けられました。