ヨブ記15章 「どうして清くありえよう」

「どういう人が清くあり得るのか。女から生まれた者で、だれが正しくあり得るのか。」ヨブ記15:14

くぅ~ママのちょっと一言
前にエリファズは因果応報に従ってヨブの罪を指摘し神に赦しを乞うように勧めましたが、ここではその勧めをあきらめ、悪人がどのような恐ろしい結末を迎えるかを示して、神を信じて生きるように言います。表現が非常に支配的で冷たさを感じます。人の悲しみに寄り添うのは本当に難しい。最初は共感的に接することができても、状況が改善しなかったり、長引いたり、自分の生活が巻き込まれてしまったりするとき、どうしたらよいのか分からなくなってしまいます。でも私たちには祈りがあります。私も沢山の方々から相談を受けます。今までほとんどのことが何らかの形で解決しましたが、わずかに私にはどうすることもできないと思える方がおられます。でも私には祈りがあります。毎日その方々の名前を挙げて、神に執り成しの祈りをします。いつの日かその方々の元気な笑顔に会えるのを楽しみしながら。

聖書要約
グッドヨブと三人の友の議論
エリファズが再び答えます
「あなたは賢いはずなのに愚にもつかないことを言う。まるで中身がないじゃあないか。あなたは神を畏れることを止めたのか。あなたを罪に定めるのは私ではなく、あなたの唇だ。あなたは人間の中で一番の知恵者とでも言うのか。神の奥義をも知っているというのか。あなたの知っていることで私の知らないことがあろうか。あなたは腹たち紛れに理性を失ってしまった。純粋で完全な人間はいない。御使いでさえ堕落することがある。あなたのような人間はなおさらだ。私は先祖の聡明な人たちの経験から聞いた知恵を私は話しているんだ。悪人の一生は不安に満ちている。苦しみと悩みが彼を脅かす。そのような悪人は全能者に対して傲慢に逆らう。悪人は金に執着するが長持ちはしない。神がそれを取られるからだ。神を信じないものは実りがない。苦しみをはらみ、災いを生み、心は悪を育てる。