ヨブ記20章「神の側から見る」

神に逆らう者の喜びははかない
「神に逆らう者の喜びは、はかなく 神を無視する者の楽しみは、つかの間にすぎない。」20:5

くぅ~ママのちょっと一言
ヨブが悶々とした苦しみから一筋の神に通じる光を見たというのに、その直後のツォファルの言葉は変わらず因果応報論です。目の前で起っていることから憶測してヨブが罪人であるという先入観が支配しているのです。
新約聖書にはイエスキリストの十字架の出来事が書かれていますが、クレネ人シモンはイエスの十字架を背負わされ、見物客の嘲笑の的になりました。クレネ人シモンはどれほど辛い思いだったでしょう。しかしこの事は神の側が必要とされたことでした。強いられて十字架を背負ったシモンはその後主の祝福を受けた人生だったことが聖書から分かります。色々な現象を私たち側からだけ見るのではなく、神さま側から見る必要があると思います。

聖書要約
ツォファルは答えて言いました。
「もう我慢できない。悪人呼ばわりされた腹いせに、私たちに罪を負わせるとは。あなたも知っているとおり、神に逆らう者が勝ち誇るのはつかの間で、自分勝手な楽しみは一夜の夢のようだ。永遠に滅び、その負債は子孫が負わねばならない。
人知れず悪行の楽しみに興じていたとしても、隠しとおせるものではない。神がお赦しにならない。そのような者は神の祝福に預かれるはずがない。貧しい者を虐げてきた者はもはや富みも喜びも与えられないのだ。反対に彼らに食い尽くされる。最後には神の裁きが下り、ついには苦悩の最期を遂げる。天は彼の罪を暴き、地は彼に不利な証言をする。これが悪人を待ち受ける運命なのだ。