ヨブ記21章 「悪が栄える」

「なぜ悪しき者が生きながらえて年をとっても、なお力を増し加えるのか。」ヨブ記21:7

くぅ~ママのちょっと一言
友たちは因果応報の考えでヨブを攻めてきました。ヨブは「私は悪い事はしていない」と反論します。すると友たちは「ではなぜ神はあなたを撃たれるのか」と言います。この応酬でしたが、ここでヨブは世の中には悪人が裁かれずに繁栄している例はいっぱいあるという切り口に変えたのです。
確かに、神を信じる者の上にもそうでない者の上にも雨が降りますす。神を信じている者もそうでない者も色々な不都合を抱えて生きていくことには変わりありません。しかし神を信じる者はどんなに辛い時でも主に祈り、どんなことにも感謝していきていけるという点で大きな違いがあるのです。

聖書要約
ヨブが答えて言います。
「どうか私の話を聞いてほしい。聞いてもらえさえすれば私は慰められる。話を聞いてから嘲笑ってもいい。私は人にではなく、神さまに言いたいことがあるんだ。私をまともに見てくれ。そして怖かったら口に手をあてるがいい。私だって自分の姿を見ると身震いする。
私の言いたい事はこういうことなんだ。神に逆らうものが長生きをし、力を増し、子孫も繁栄し、家庭は平和で、家畜もどんどん増える。毎日歌と踊りで明け暮れ、死ぬまで栄える。「神って誰のことだ。なぜ神に従わないといけないんだ」という彼らの財産は守られている。何をしてもうまくいく悪人など沢山いる。神は彼の罰を子孫に負わそうとしているなんてそんなことはない。本人の問題なのだから。
とは言え、人間のだれが神に意見することができるだろうか。死ぬまで何不自由なく暮らした人も、死に至るまで幸せを味わうことがない人も、どちらも最期を向かえ、同じちりに埋められる。あなたたちが言いたい事は神に逆らうものは災いを受けるということだろうが、実際、悪人は災いをのがれ、だれも面と向かって彼を責めない。それどころか彼の葬儀は盛大で、墓もりっぱでやわらかい土が彼を覆うじゃあないか。悪人が神の罰を受けるなんていい加減な前提の元に話されたって慰めにもならない。