イザヤ書5章 必ず荒れ果てる


「必ず、多くの家は荒れすたれ、大きな美しい家々も住む者がいなくなる。」イザヤ書5:9

くぅ~ママのちょっと一言
ぶどう畑の歌はぶどうの収穫でにぎわっているところにイザヤがやってきて、イスラエルとユダに将来起こることを預言したものです。よい実が実らないぶどう畑を神は見捨てられます。
次にイザヤは6つの災いを民に示しました。またイザヤは捕囚の民となる預言をしています。歴史の中で起こったことは実は神のご支配の中で起こったことだということが示されています。それを有神論的歴史観と言うのだそうです。
ぶどう畑のたとえですが、新約聖書においては実らないぶどう畑に対して園丁がもう少し手入れをしてみますからこのままにしておいてくださいと執り成します。ぶどう畑は私たち、園丁はイエスキリストです。ここにイエスキリストにおける神の愛が表わされています。

聖書要約
ぶどう畑の歌
私の愛する人のためにぶどう畑の歌を歌いましょう。私の愛するぶどう畑はよく肥えた丘の上にあります。手入れを怠らず、心をこめて育てたのに、実ったぶどうは野生ですっぱく、全くの期待外れでした。
さあ、イスラエルとユダの王よ、この問題を解決するために裁判官になってほしい。いいぶどうが実らなかったのは私のせいではないことは明らかです。私はぶどう畑を見捨てます。雑草が茂り、雨も降らせないようにします。
ぶどう畑とはイスラエルとユダのこと。正義の国となることを神は期待されたのに、流血の町になってしまったのです。
富める者の横暴
災いだ。多くの所有地を持っている欲張り者は裁かれて、そのうちに収穫がもたらされなくなる。
災いだ。快楽にふけっている者は遠い異国の捕虜となって連れて行かれるだろう
災いだ。欲や罪に酔いしれた者は神の審判を恐れず、侮るようになる。
災いだ。ついに彼らは何が善で何が悪か判断できなくなる。
災いだ。神を退け、人間が一番偉いように思うようになる。
災いだ。戦いに出ていくべき勇士が酒におぼれて悪事に専念する。
これらの人は賄賂をとって正義を曲げ、悪者をかばいます。だから神は彼らを罰せられます。
遠くからの敵
神が遠く離れ国に合図すると彼らはエルサレム目がけて流れ込んできます。そして勇ましく唸り声をあげてイスラエルやユダの人々を捉えてしまいます。救い出しうる者はいません。その日は海のごう音のように神は唸り声をあげられ彼らを一呑みにされるのです。彼らは絶望と悲しみに包まれるのです。