ルカによる福音書14章 神の国の食卓


神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」ルカ14:15

くぅ~ママのちょっと一言
当時、安息日の礼拝後に、人を招いて宴会をすることはよくあったようです。そこでイエスが水腫の男を癒されたことが書かれています。安息日には何もしてはならないのではなく、安息日であっても神が喜ばれることはするべきなのです。
7節でイエス様は上席を好む者に警告されました。謙遜に生きることは、高慢に生きることに優っていると。
ユダヤでは大宴会を催す時に仮の招待状を出し、再度、招待する習慣があったようです。この大宴会のたとえは「神の国の食事」です。旧約聖書は仮の招待状を現わし、2度目の招待は、バプテスマのヨハネやイエスの弟子達の招きを指しています。2度目の招きに対して、先に招かれていた人は色々な理由をつけて宴会を欠席します。そこで急遽、当時罪人と呼ばれているような人々や通行人が招かれたのです。神の国の食卓につくことは、永遠の救いを意味します。神の宴会の招待状を手にしたときには、何事にも優先してお受けしないといけないのです。

聖書要約
安息日に水腫の人を癒す
安息日イエスはファリサイ派の議員の家で食事することになりました。そこにいた水腫を患った人にイエスがどうされるか、人々は見守っていました。イエスは「安息日に病気を治すことは許されているか」と人々に聞き病気を癒されました。そして「息子はおろか牛であっても、井戸に落ちたら安息日でもすぐに引き上げるではないのか」と言われ、誰も答えることはできませんでした。
客と招待する者への教訓
「招かれた時は上席に座らず末席に座りなさい。自分から名誉を受けようとする者は低くされ、自分から腰を低くする者は身に余る名誉を受ける」とイエスは言われました。また「宴会を催す時は、あなたにお返しをすることが出来ないような人々を招きなさい。あなたは天からの報いを受ける」と言われました。
「大宴会」のたとえ
イエスがたとえで話されました。「大宴会の時間が来ても、招待された人々はことごとく口実をつけて出席を断った。『畑を買ったので。牛を買ったので。妻を迎えたばかりなので。』怒った主人は広場や路地に行って、貧しい人や体の不自由な人を連れて来させた。最初に招かれた人たちで私の食事を口にする者は一人もいない」と。
弟子の条件
イエスについて来た群集に向かってイエスは言われました。「誰でも私に従いたいのなら、父母、兄弟、自分の命以上に私を愛し、自分の十字架を背負い、この世の富みへの執着を捨てて従ってきなさい」と言われました
塩気のなくなった塩
イエスの弟子なら、イエスに従うこれらの覚悟を失ってはいけません。それは塩気がなくなった塩のようです。