ルカによる福音書13章 実のならないいちじく
「ご主人様、どうか、今年もう一年そのままにしておいてください。」ルカ13:8
くぅ~ママのちょっと一言
「実のらないいちじく」のたとえですが、ある人とは神、園庭とはイエス、実のらないいちじくの木は私達です。「実」とは愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。(ガラテヤ5:23)そのような実をなかなかつけることが出来ない私達ですが、そんな私たちが切り倒されずにすんでいるのは、十字架にお架かり下さったイエス様が日々私たちのために、神様に執り成して下さっているからです。「狭い戸口」とは入ろうとしても入れない人が多いということを表わしています。戸が閉められる時、戸の中では、天の喜びの宴会が始まります。神の裁きの結果で戸口の内には入れるかと外にいるかが分かれるのです。
神に切り倒さないでくださいと執り成して下さり、めんどりが雛を集めるように、戸の中に入るように手招きしてくださるイエスの愛に答えて生きていかなければならないと思います。
聖書要約
悔い改めなければ滅びる
何人かの人がやってきて、イエスに「ピラトがエルサレムの神殿で供え物をしていたガリラヤ人を殺害した」と告げました。イエスは「殺された者が特別罪深かったわけではない。シロアムの塔が倒れて犠牲になった者も同じだ。あなた方も悔い改めなければ、同じように滅びる」と言われました。
実らないいちじくの木のたとえ
イエスは次のようなたとえ話しをされました。「ある人がぶどう園にいちじくを植えたが、三年経っても実がならない。とうとう腹が立てって、『これ以上手をかける必要はない』と切り倒すように園庭に命じた。すると園庭は主人に言った。『もう一年待ってください。念入りに肥料をやってみます。来年、実をつけるかもしれません。』と。
安息日に腰の曲がった婦人をいやす
安息日に会堂に18年間出血で腰が曲がったままになっている女性が入ってきました。イエスがその女性に「あなたの病気は治った」と言われると、たちどころに腰が真っすぐになり、賛美して出て行きました。「安息日に働いてはいけない」という会堂長にイエスは「安息日でも牛やロバの綱を解いてに水を飲ませる。まして18年間もサタンに縛られていた女性を解放してやることがなぜ悪いことか」と言われました。人々はその教えを聞いて喜びました。
「からし種」と「パン種」のたとえ
神の国は見る間に大きく成長するからし種ややパンを膨らせる酵母のようなもの。やがて世界中に広がります。
狭い戸口
「救われる人は少ないのか」と問う人にイエスは答えられました。「天国の門は狭いが、出来る限りの努力をして、そこに入りなさい。入ろうとしても入れない人が大勢いる。主人が戸を閉めてしまわれたら、どれほど戸を叩いても入ることはできない。あちらこちらの国からやってきた人が神の国の宴会の席につきます。今、軽んじられている人が多いにほめたたえられます。
エルサレムのために嘆く
ファリサイ派の人々がイエスに忠告しました。「ヘロデがあなたの命を狙っているから、ここから出て行きなさい」と。イエスは「人々をいやし、悪霊を追い出す時間は限られている。しかしエルサレム以外では殺されることはない。わたしは「あなた方が救われるように」と何度も神に執りなしたが、あなた方はそれを拒んだ。あなた方は見捨てられる。そしてその日が来るまでわたしの姿を見ることはない。