ルカによる福音書24章 復活の主に出会い心燃えて生きる


「…私たちのは内で燃えていたではないか。」ルカ24:32

くぅ~ママのちょっと一言
イエスの復活は4つの福音書に全てに書かれています。「復活がなければ信仰はむなしい」とパウロが言いましたが、復活は重要な出来事です。ルカもその出来事を記したのですが、マタイ、マルコと若干の違いがあります。次のヨハネが書いた復活とよく似ています。
イエスは人類の救いのため、十字架にかかられ、黄泉(暗黒の死の世界)をも支配され、3日目に復活されたと聖書は教えています。私達がいずれ直面する「死」に、イエスはすでに勝利されたのです。だから復活の主を信じるものにとって、死は恐れるに足らないということです。復活の主に出会い、復活の主を信じることは、信仰の希望なのです。神から頂いた命は、その命が終わった時に帰る場所があるのです。神の元に帰るそのときまで、御心に従ってしっかりと生きて行きたいと思います。

聖書要約
グッド復活する
安息日が終わった、日曜日の朝早く女性達はイエスの体に香料を塗ろうと思って墓に行くと石がわきに転がしてあり、遺体が見当たりません。途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の天使が現れて「ここにはおられない、復活なさったのだ。イエスがガリラヤにおられたころお話しされていただはないでないか」と告げるのでした。女性達は戻って、11人の弟子達に話しましたが、信じてもらえませんでしたが、ペテロだけは墓に走っていって亜麻布しかないことを確かめました。
グッドエマオで現れる
弟子の中の二人はエルサレムからエマオに向っていました。二人はイエスの死について話していました。そこへ突然イエスが現れ連れ立て歩き始められました。しかし二人にはイエスと気がつきません。イエスは十字架に架かることは預言者たちが預言していたことであることや聖書は救い主について書かれていることを解き明かされました。宿につき食事の席でパンを裂かれた時に、二人の目は開けて、その人がイエスだと分かりますが、と同時にイエスの姿は見えなくなりました。「そう言えば道で聖書の説明をしてくださっている時、わたしたちの心は燃えていたではないか」と二人は語りあい、急いでエルサレム戻って、他の弟子のところに行くと、復活されたイエスに会った話で持ちきりです。彼らも身に起ったことを話しました。
グッド弟子達に現れる
そのように話をしている弟子達の真ん中にイエスは現われ、「あなた方に平和があるように」と挨拶されました。うろたえる弟子たちに、手足がちゃんとあり、食べることもできると焼いた魚を食べて見せられました。「モーセの律法や詩篇は私について書かれていることであり、それらは全て成就する」と教えられました。すなわち、「メシアは十字架の苦しみを受け、三日目に死者の中から復活されること。そのイエスに立ち返り、悔い改める者は罪を赦されること。この救いの知らせは全世界の人々に宣べ伝えられること。それらのことをあなた方は初めから見ていたのですから、あなたがたはその証人となります。父が約束されたもの(聖霊)をあなたがたに送りますから、エルサレムにとどまっていなさい。」と弟子達に諭されました。
グッド天に上げられる
イエスはベタニアのあたりまで彼らを連れて行き、祝福しながら天に上げられました。彼らは喜んでエルサレムに戻り、絶えず、神をほめたたえました。