使徒の働き25章 窮地に追いやられても

「パウロが現れると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てた。しかし、それを立証することはできなかった。」使徒25:7

くぅ~ママのちょっと一言
前総督はパウロを2年も監禁状態にしていました。ある程度の自由さは与えられていたものの一人の人の命を簡単に拘束するということはいかにも人の命がもてあそばれているようです。パウロは「自分の命は為政者の胸三寸」という状況の中で長い年月過ごしているわけです。しかし身体は拘束されてもクリスチャンには心の自由があります。心の自由とは「主にあって、必ず人生は勝利!だ」という確信だと思います。「どんなに辛い人生でもその最後は喜びである」という確信です。この心の自由はだれも奪うことは出来ません。
新しく来たフェトゥス総督はエルサレムに上りました。新総督はまず現地住民の訴えを直接聞くという習慣があったのです。そこでユダヤ人の訴えを聞き、ようやくパウロの裁判が開かれることになったのです。パウロはそれを拒否し、皇帝に上訴しました。エルサレムでは不当に扱われることが分かっていたのです。またパウロはローマに行くことが主の御心と確信していましたので、皇帝に上訴したのです。これでフェストゥスの権限はなくなり、皇帝へ上訴の理由を書かなければならなくなりました。

聖書要約
グッドパウロ皇帝に上訴する
フェストゥスはローマ総督として着任して3日後にエルサレムに上りました。そこでユダヤ人たちは、またもやパウロのことを訴え、エルサレムに送り返すように計らってほしいと頼みました。ユダヤ人たちは移送の途中でパウロを殺そうと思っていました。フェストゥスは自分がカイサリアに帰る時一緒に来て訴えたらよいではないかと言いました。フェストゥスは8~10日の滞在し、カイサリアに戻りました。その翌日パウロの裁判が開かれました。しかしやってきたユダヤ人がどんなに重い罪状を上げても立証は出来ませんでした。パウロも「私はユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても罪を犯していない」と弁明しました。フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロにエルサレムに上って裁判を受けるようにいいますが、パウロはそれを拒否し、皇帝に上訴したのです。フェストゥスは陪審員に相談して、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」とパウロに言い渡しました。
グッドパウロ、アグリッパ王の前に引き出される
数日後アグリッパ王とその妹のベルニケがフェトゥスに敬意を表すために、カイサリアに来た時、フェストゥスはパウロのことを話しました。「前任者が囚人として残しておいたパウロと言う者がいるのですが、ユダヤ人たちは彼に有罪判決を下すように言います。私はローマの法律では裁判もしないで有罪には出来ないと答えました。それでパウロに訴える者たちの前で釈明する機会を与えました。しかし彼らの訴えているのは彼らの宗教上のことで、私には手に負えそうにもないので、エルサレムで裁判を受けることを勧めたのですが、彼は皇帝に上訴すると願い出ましたので、ローマに護送するまで牢に留置しているのです」と言うと、アグリッパ王はパウロに大変興味を示し、パウロに会うことになりました。翌日盛装したアグリッパ王とベルニケが到着し、パウロが引き出されました。フェストゥスは今までの経過を説明するのでした。