使徒言行録27章 望みが消えそうな時にも
「元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。」使徒27:22
くぅ~ママのちょっと一言
パウロの無罪は明らかになったのですが、パウロ自身がローマ皇帝に上訴しているので釈放にはならず、他の囚人と共に、ローマに護送されることになります。パウロはそれが神の御心と確信していました。パウロの世話をしていた筆者のルカとテサロニケ人のアルスタルコが同行しました。
9節にある断食日と言うのは毎年9月の終わりから10月にかけて守られているもので、それを過ぎると地中海の冬の嵐が吹き荒れるため、11月11日から3月5日の航海は完全閉鎖、もう少し幅を取って9月4日から5月15日までは航海の危険な時期とされていました。案の定パウロの乗った船は嵐に遭い、難破寸前となります。そのような時パウロは神から示された希望のメッセージを伝えます。望みが消えてしまうそうな時にわずかでも希望の光を見ることができたら、どんなに嬉しいことでしょう。クリスチャンはそんな希望の光を人々に指し示す存在です。たとえ、万策尽きた時でもクリスチャンには奥の一手があります。いや人間の力が尽きた時から働かれる(自分を開け放した時に働いてくださる)神さまの力こそが素晴らしい結果を生み出します。
私は学校関係からお招きを受けて子どもたちに話す機会が多くありますが、「生きる事はすばらしい」「あなたがうまれたことには意味がある」「あなた達が作るこれからの世の中はきっと良くなる」と、元気の出る言葉をちりばめて話をします。沢山の元気の出る言葉を聖書から頂いて、子どもたちに、また世の中に発信する者でありたいです。
聖書要約
パウロ、ローマに向かって船出をする
パウロは皇帝直属部隊の百人隊長のユリウスに託され、イタリアに向かって船出することになりました。その船はアジア州の各地の港に寄港してギリシャに向かうことになっていました。筆者(ルカ)とアリスタルコが同行しました。翌日停泊したシドンではユリウスの計らいで友人に会うことが許されました。そこを出港しましたが、向かい風が吹いてきたため予定の航路を変えて、ミラに入航し、イタリア行きのアレクサンドリアの舟に乗り込みました。風に行く手を阻まれて日数が思いのほか過ぎ「良い港」と言う名の港に着いた時には、既に断食日が過ぎていたので、航海には不向きな季節に入ってしまっていました。しかし「良い港」で冬を過ごすより、フェニクス港で越冬しようと舟を出そうとします。パウロは反対しましたが、大多数の意見と船主の意見が取り入れられ船出をしたのです。
暴風に襲われる
折しも穏やかな南風が吹いてきたので、人々はうまく事が運ぶと思って出港しました。ところが島から吹き下ろす暴風に巻き込まれ、流されるに任せるしかありませんでした。3日目には舟具を投げ捨てて、いく日もの間、太陽も星も見えない暴風の中を漂流しました。助かる望みが消えうせようをしている時に、パウロは人々の前に立って「元気を出しなさい…一人として命を失うものはありません」と皆をはげましました。前夜、パウロは神から「必ず助かる」というメッセージが与えられていたのです。そして14日目に陸地に近づいたことが分かります。
難破する
夜が明けると、どこかは分かりませんが、海岸線が見えました。神の言葉どおり、何処かの島の浜辺に乗り上げることが出来ました。兵士は囚人たちが逃げてしまう前に殺すことを百人隊長のユリウスに進言しましたが、ユリウスはパウロを助けたかったので、聞き入れませんでした。舟は壊れてしまいましたが、泳いだり、板きれなどにつかまって全員が無事で島に降り立つことが出来たのでした。