使徒言行録28章 主の言葉をうけいれる

「ある人たちは彼が語ることを受け入れたが、ほかの人たちは信じようとしなかった。」使徒28:24

くぅ~ママのちょっと一言
パウロはどこに行っても、まずユダヤ人に福音を語りました。しかし少数の人にしか受け入れてもらえないことがほとんどでした。ローマでも、パウロはまずユダヤ人に、「神が旧約の預言者たちに約束した希望の内容は、ナザレ人イエスキリストにおいて実現したのだ」と福音を語りましたが、やはり結果は同じでした。
しかし、当時はローマに伝えられたということは、全世界に伝えられたに等しいことでしたし、実際、そこからユダヤ人以外の全世界の人々にキリスト教は広まりました。パウロはローマでの2年の中でフィリピ、エペソ、コロサイ、ピレモンへの手紙も書いたと言われています。今でも未開の山奥や、文字を持たない少数の民族の間でも言葉を文字で表すことから初めて聖書の翻訳の作業をしている人たちがいます。主の約束は「あなた方の上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1:8)事なのです。パウロの伝道の経験から教えられる事は、人間的に見ると最悪を思われるようなところにも主が働いて下さるということです。

聖書要約
マルタ島で
一同が上陸した島はマルタ島と呼ばれている島だと言うことが分かりました。原住民はこれら276名の遭難者を火をたいて助けてくれました。その焚き火に枯れ枝をくべようとしたパウロの腕に、火の中から出てきたまむしが噛み付いたのです。人々は、「パウロが、正義の女神に裁かれるような悪い人だったのか」と成り行きを見守りますが、パウロの身に何事も起らないのを見て、逆に「この人は神さまだ」と言います。パウロは島の長官のところに連れて行かれ、歓迎を受けます。そこでも長官の父親の病気を癒します。そのほかにも数々の島民を癒しました。冬の3ヵ月の間、そこで滞在し、早春に船出したのですが、島民は船出に必要なものを調達しれくれました。
ローマ到着
3カ月後ディオスクロイを旗印にしたアレキサンドリアの舟(修理した舟か、立ち寄った舟かは分からないそうです)でローマに向いました。南風にのってプテオリ(ローマの180KM南方)の港に着くと、ローマにいるクリスチャンが会いに来てくれました。そこから1週間の道のりでローマにつきました。ローマではパウロは番兵が一人つけられますが、自由に生活することが許されました。
パウロ、ローマで宣教する
ローマに到着して3日後に、ローマにいるユダヤ人たちを招き、民に対しても先祖の慣習にたいしても、ユダヤ人が訴えるような死罪に値するようなことは何一つしていないことを説明しました。ローマのユダヤ人たちは「あなたの信じていることをあなたの口からお聞きしたい」と言って、次に集まる日を決めました。さらに多くの人がパウロの家を訪れ、神の国の話を聞きました。ある者はパウロの話を信じましたが、他のものは信じようとはしませんでした。意見が一致しないまま立ち去ろうとする人々にパウロは「聖霊が預言者イザヤを通してお語りになったことは正しい」と言います。すなわち「ユダヤ人に告げよ。『あなた方は聞くには聞くが、決して理解しない。…だからこの神の救いは異邦人に向けられました』と。パウロは2年間ローマで宣教をします。全く自由に神の国とイエス・キリストを宣べ伝えました。