Ⅰコリント人への手紙2章 霊の目でみる

「その御霊のことばによって御霊のことを説明するのです。」Ⅰコリント2:13

くぅ~ママのちょっと一言
パウロはコリントで宣教を始めた時のことを話します。それは雄弁家や哲学者のように話すのではなく、ただキリストの十字架だけを指し示そうとしたのです。コリントは哲学的理論を好む国だったようですが、パウロはそうしませんでした。パウロは聖書の言葉は人間の知恵で書かれたものではないので、人間の知恵で読んでも理解できないと言います。霊の目と耳で読むことが必要なのでしょう。難しいことではありません。ただ分かりたいと神に心を向け、神に願うことです。必ず、神はその人に合った時に、合った方法で分かるようにしてくださると思います。「大切なものは目では見えないよ。心の目で見なくちゃね」星の王子さまに狐がいった言葉です。人間の目、人間の頭で聖書の言葉を読むのではなく、神を思う心の目で聖書から真理を教えられたいと願います。

聖書要約
グッド十字架につけられたキリストを宣べ伝える
愛する皆さん、私があなた方の所に行った時に、神の言葉を伝えるのに、難し言葉や、理論を振りかざしたりしませんでした。ただキリストの十字架だけを指し示そうとしました。その宣教の使命の重要さと困難さを思うと私は心細い状態でしたが、私の言葉には神の力がこもっていて、聞く人にはそれが神からの言葉とすぐに分かったことでしょう。あなた方の信仰が人間の優れた知恵ではなく、神に根ざしてほしいと願っていたのです。
グッド神の霊による啓示
しかし、成熟したクリスチャンにはそれなりの知恵に満ちた言葉で語ります。私の語る言葉は、この世のことでもないし、この世を支配が喜ぶような知恵でもありません。その知恵は神から出たもので、隠されていた知恵です。この知恵をこの世の人は理解していたら、イエスを十字架につけたりしなかったでしょう。しかしそのことは旧約聖書にも書かれていたのです。「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神はご自分の愛する者たちに準備された」と。私たちクリスチャンには神の霊によって「神の愛する者にイエスの十字架の死によって救いの道を与えてくださる」ということを知らせてくださいました。
その人がどんな人かはその人の内の霊だけが知っています。ましてや神の考えを知るのは神の霊だけです。その神の霊をクリスチャンは与えられています。それは神の恵みと祝福という神からの贈り物を手にするためです。だからこの贈り物について話すときは人間の言葉ではなく神の言葉を用いないと理解する事はできないのです。また神の霊をいただいている者、すなわちクリスチャンは神の思いが分かります。霊をいただいているので、キリストの思いを共有しているのですから。