Ⅰコリントの信徒への手紙7章 結婚と信仰生活

「神は、平和を得させようとして、あなたがたを召されたのです。」Ⅰコリント7:15

くぅ~ママのちょっと一言
コリントの信徒達がパウロに送った手紙の中の質問の一つがこの結婚の問題でした。パウロは神の言葉と自分の言葉を区別できるように配慮して書いています。
パウロは結婚をあまり積極的に捉えておらず、結婚を情欲を抑えるためだけのことのように書いているようにも読みとれますが、それはパウロはコリントの人々の性的な乱れを思いながら書いたからということと、結婚することによって、おこりがちな神を第一とする生活から家庭を第一とする生活になることを憂いでのことだったのかもしれません。夫婦でも信仰の温度差があるでしょう。思いの熱いほうに引っ張られるといいですが、心が遠ざかりがちな方に気を使うようなことがあれば寂しいです。結婚は本来神の祝福です。夫婦で信仰の喜びを分かち合いながら、二人で神に感謝しながら、また与えられた子どもたちと一緒に神を賛美しながら、歩んでいけるといいですね。

聖書要約
結婚について
あなた方から頂いた手紙にあった質問に答えましょう。もし結婚しないならそれもいいことですが、結婚することもよいことです。そうでないと不品行の罪に陥る危険があります。夫婦は受けたものを共有すること、自分の身体は自分のものではなく結婚相手のものです。お互いに拒んではいけません。ただ祈りのためにしばらく、性的な関係をもたないことを決めることはできます。
かといって結婚しなさいと言っているのではありません。わたしのように独身でいるのもいいのです。神からの賜物が違うのですから、生き方も違います。
独身者と未亡人の人たちは、独身のままの方がいいですが、情欲をもやすよりは結婚する方がいいです。
次に結婚している人に対してですが、はっきり命じますが、信徒夫婦は分かれてはいけません。もしわかれているならそのまま独身でいるか、和解しなさい。クリスチャンではない相手が一緒にいるのを望む時は離婚してはいけません。あなたといっしょにいることで相手や子どもが聖められているからです。しかしクリスチャンでない相手が別れたいときは別れてもいいです。あなた方が平和に暮らすことを神は望んでおられるのです。
主の定めた生き方
結婚したとしても、しないにしても、どんな立場でも神のみこころにかなう歩みをしなさい。割礼を受けているとか受けていないとか、奴隷の身分であるとか、関係なく、大切なのはイエスキリストが代価を払って(十字架の死によって)私たちを罪から解放してくださり、罪の支配から神の支配に入れてくださっていることです。
未婚の人とやもめ
未婚の人については、イエス・キリストの言葉は残されていないので、わたし(パウロ)の意見ですが、現状のままでいる方がいいでしょう。結婚している人も現状のままでいいです。結婚することは罪を犯すわけではありませんから。ただ結婚すると相手を喜ばせようと、時間を取りますが、結婚していない人は主のために心も時間も割くことが出来ます。また夫と死別した場合の再婚はクリスチャンに限ります。