Ⅰコリント人への手紙6章 神の栄光を現わす

「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」Ⅰコリント6:20

くぅ~ママのちょっと一言
コリントの信徒たちは律法からの自由を誤用して、全てのことは許されていると、遊女と関係を持つことは構わないと考えたのです。また、遊女と遊んだ体はこの世限りのもので、魂を損なうことはないと考えたのです。それに対してパウロは、自由を与えられているが、信徒の行動は霊的益となるかと言うことと、自由の名のもとに欲望の奴隷になってはいけないと制限を付け加えたのです。また性的な関係は人格的結合をもつことになり、主に結ばれた者にとってはそのことは主への重い背信行為なのです。
その他にもパウロは性的な混乱を中心とする10種類の罪を指摘します。コリントの町で特に目立つ罪、また異教の宗教儀式との混乱からの罪もあったでしょう。しかしかつてはそうのような罪の中にあったかも知れませんが、今やイエスキリストの十字架のによって、罪が洗い流され、正しい者をされた私たちなのです。だからこの体で主の栄光を現わさなければならないのです。

聖書要約
グッド信仰のない人々に訴え出てはならない
クリスチャン同士の争いが起きた時に教会内で解決せず、なぜこの世の法律で裁いてもらおうとするのですか。教会にはこのような争いを裁くことができる賢明な人がいないのですか。いや訴え出ること事態がクリスチャンとして敗北です。むしろだまされる方が神に喜ばれます。正しくない者が神の国を継ぐことができないのは当たり前のことです。不道徳な生活をしている者、偶像を拝む者、姦淫をする者、同性愛にふける者は神の国を継ぐことはできません。またどろぼう、貪欲な者、酒に酔う者、人をそしる者、強盗もです。あなたたちの中にはそのような人もいましたが、今では、主イエス・キリストの名と、聖霊によって罪が洗い流され、聖なる者として神に受け入れられているのです。
グッド聖霊の住まいである体
私たちには何でもする自由が与えられています。しかしその中には自分にとって良くないこともあります。たとえ良いことでもそれに囚われてしまうようなことはしてはいけません。食べる事は悪いことではありません。主が食べるために食欲を与えてくださり、消化するために胃を与えてくださいました。しかしだからといって、暴飲暴食は身体にとってよくありません。いつの日か神が胃も食べ物も取り上げてしまわれるでしょう。また体は主のものなので、性的な罪は絶対にいけません。主ご自身が私たちの体に住もうと願っておられます。私たちの身体はキリストの一部なのです。その体を娼婦と結び付けるようなことをしてはいけません。性的に結びついた者はすでに二人ではなく一体と神はみなされます。もし自分を主に捧げるなら、その人とキリストは一体とみなされるのです。性的な罪は自分の体に対して犯す罪で、これほどの罪はありません。あなた方の体は神が代価(イエスキリストの十字架)を払って買い取ってくださった、聖霊が宿る神殿のようなもの。神さまの栄光を表すことに用いる為のものなのです。