Ⅰコリント人への手紙15章 キリストの復活にあずかる
「そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。」Ⅰコリント15:14
くぅ~ママのちょっと一言
コリントの人たちの中には死者は復活しないという人がいました。それに対してパウロはまず信仰の基本である、キリストの贖罪の死、葬り、復活、顕現(使徒たちを始め多くの人に復活の体を現わされた)から説明します。また死者の復活を信じていない人もキリスト復活は信じていたのですが、死者の復活の否定はキリストの復活の否定になり、それらの復活を否定するなら、私たちの信仰は空しいとパウロは言います。そして最後の時が来たら、キリストの属する者は一瞬にして朽ちない新しい体に変わり、人類の最後の敵である死に勝利する時であるとパウロは教えました。
人生は選択だと思います。いのちがどこから来て、どこに行くのかということを、聖書が教えることを信じて生きていくのか、それ以外の考えを信じて生きていくのか、また命は終わればそれまでと思って生きていくのか、「その日」が来ることに希望をおいて生きていくのか、それぞれが考えなければならないことだと思います。そしてその答えは自分の死または復活と同時に必ず与えられます。
聖書要約
キリストの復活
私が皆さんに知らせた福音についてもう一度言います。福音を受け入れ、今も信じるなら、この福音はあなた方を救ってくれます。最も大切なことは、キリストが私たちの罪のために死なれたこと。葬られたこと。3日目に復活されたこと。そしてその復活の主は多くの人に現れたことです。そんな経験をした人は今尚多く生きており、クリスチャンを迫害していた、クリスチャンと呼ばれるような資格のない私にも現れてくださいました。その恵で生きている私は、主のためにどの他の使徒よりよく働きました。というより神が私の内で働かれたのです。
死者の復活
しかしあなた達の中で復活を信じない人がいるのはどうしてですか。もし復活がなければ、伝道する事はむなしいし、信じる事は無駄です。復活を見たと言って、それを信じている使徒達はうそつきになるし、私たちの罪はそのままの状態で神の救いを信じる事は惨めなことです。しかしキリストは復活されました。復活の最初の人となられたのです。アダムの神への不従順から私たちは人類は死ぬ存在になりました。しかしキリストを信じることによって主の復活に与ることができます。まずキリストが復活され、そしてキリストが再び来られる時(再臨)クリスチャン達が復活にあずかり、そして世の終わりが来ます。そしてキリストは全てを、(人間の最大の敵、死をも)支配に治められます。そして父なる神にその支配を委ねられます。私たちは復活を信じてバプテスマを受けるのであって、復活がなければバプテスマの意味がありません。「死んだら終わりだ。」と言うのであれば大いに飲み食いして愉快に過ごせばいい」ということになります。私がそのことで戦ったエペソの人たちのように。そんな人たちにだまされてはいけません。あなた達の中には神について何も知らない人がいるのです。
復活の体
復活したらどうなるかと聞く人がいますが、今の体と復活後の体は種とそこから芽生えた植物のようなものです。蒔かれた種は朽ちても輝かしいものとして復活します。それは今とは異なる朽ちない体です。私たちは今はアダムと同じ体ですが、キリストに属する者となれば、キリストと同じ天から与えられる超自然な新しい体を持つようになります。再臨の時が来たら、既に死んでいるクリスチャンがまず、新しい身体に復活し、ついで生き残っている者も一瞬にして新しい身体に変わると言われています。「死は勝利に飲み込まれた」と旧約聖書に書かれているとおりです。そして、私たちは死からも罪から解放されます。必ずこのような素晴らしいことが与えられるます。信仰は無駄に終わる事は決してありません。