Ⅱコリント人への手紙4章 目で見ることのできないものの価値

「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」Ⅱコリント4:18

助産師永原のちょっと一言
私たちの肉体は土の器だと書かれていますが、本当にそのとおりだと思います。傷つきやすく、ひびも入りやすいです。壊れてしまうこともあります。また器はその中に何を入れているかで用途も変わるし、置かれる場所も違ってきます。聖書はこの土の器に神の栄光の光、イエスキリストを入れなさいと書いてあります。もしその器が花瓶として使われたら、きっと素晴らしい花を咲かせるでしょう。もし水がめとして使われたら、美味しい甘い水になるかもしれません。もし棚の飾り物にされたら、ひときわ光り輝く置物として大切にされるかもしれません。何よりも少々の事では壊れない強さが与えられるのは嬉しいことです。心の中に何を入れるかが人間の生き方につながる。分かりやすいたとえではないでしょうか。

聖書要約
グッド土の器に納めた宝
良い知らせを伝えると言う素晴らしい務めに、私たちを任命してくださったのは神です。だから落胆してはいけません。私のような者を任命してくださったのは神の憐れみです。だから信じさせようとして、たくらんだり、書かれてないことを教えたりする必要はないのです。福音が覆い隠されているのは、滅びの道を歩む人に対してであって、これは世の神、すなわちサタンのしわざです。キリストの栄光の輝きを見えないようにしているのです。
私たちは自分の事を宣伝しているのではなく、神を宣べ伝えているのです。ただイエスキリストが私たちのためにして下さったことを伝えているのです。神が「闇の中に光り輝け」と言われ、私たちのその輝きを理解させてくださったのですから。
この素晴らしい光であるイエスキリスト、すなわち宝物を、神は壊れやすい土の器のような私たちの心に与えてくださいました。この宝を入れた器は栄光に満ちた力が湧き出てきます。その力は神からのものである事はだれの目にも明らかです。四方から苦しめられ、圧迫されますが、押しつぶされたり、打ちのめされたり、途方にくれる事はありません。絶望も迫害にあっても神は見捨てられる事はありません。かってイエスがそうであったように、私たちはいつも死に直面しています。しかしそのような私たちを主イエスは守ってくださいますし、またそのことで主イエスの力が明らかにされます。そのようにイエスを指し示す生き方こそが永遠の命を頂くことにつながります。旧約聖書の詩篇の作者は「わたしは信じた。それでわたしは語った」と言ったように、主の守りを信じて大胆に語ります。なぜなら神はイエスキリストを復活させられたように私たちも復活させてくださり、御前に立つことを赦してくださいます。そして多くのクリスチャンとともに感謝することで、神の栄光が益々明らかになるのです。
グッド信仰に生きる
私たちは落胆しません。肉体は衰えますが、主から頂いたキリストの力は日ごとに新しくされ力が増していきます。私たちが頂いている永遠の命の重みに比べたら、日常に経験する悩みは取るに足らないことです。それは目の前にある苦しみは過ぎていきますが、今は見えない天にある喜びは永遠に続くからです。