Ⅱコリントの信徒への手紙3章 主の姿に造り変えられる

「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」Ⅱコリント3:18

助産師永原のちょっと一言
パウロが「自分こそ使徒としてふさわしい」と、主張すると、それは「自己推薦しているのだ」と、いう批判する人たちがありました。パウロはそれに対して「私には推薦状など必要ありません。私の推薦状はあなた達です。」ときっぱりと言います。
わたしの力では何もできませんが、神はわたしたちに新しい契約に仕える資格を与えてくださいました。モーセに与えられた、シナイ契約は古い契約であり、律法を守ることによって救われるというものでした。しかし民は守ることができず、結局律法によって民は死罪を宣言される他なかったのです。しかし新しい契約は御霊が人の心に書きつけてくださったもので、罪の支配から解放される、人を生かす契約なのです。
そのことが4章以下に書かれていますが、パウロの巧みな言葉の言い回しを読みこなすのが難解です。本当に真理が覆われているように感じます。今日の聖書の箇所に書かれているように、神さまの方にむきを正し、神に信頼することによって覆いを取り除かれた真理に接することができるようにと願います。またわたしたちもだれからからの推薦状がなくても、名刺に肩書がなくても、大丈夫です。わたしたちは全てを支配しておられる主に属する者ですから。

聖書要約
グッド新しい契約の奉仕者
わたしが自分を推薦してるのでしょうか。あなた方宛てにわたしは推薦状を書く必要があるのでしょうか。そんなもの必要ないでしょう。なぜなら私の推薦状はあなた方です。それはあなた方がわたしから福音を聞いたことによって、すばらしく変わったことをみれば分かるでしょう。わたしの推薦状は墨で石の板に書かれたようなものではなく、神の霊によって人の心に書つけられたものです。このように確信するのは神に信頼しているからです。神が助けてくださり、力を与えてくださるからです。律法は滅びに至りますが、聖霊が新しい命を与えてくださいます。律法に生きたモーセさえもまばゆいほどの輝きがあり、イスラエルの人々はそれを見ることができないほどでした。であるなら、なおさら、聖霊が働かれる時もっとすばらしい栄光を与えた下さることを期待できるのではないでしょうか。モーセの輝きがまぶしすぎるので他の人に会うときは覆いをしなければなりませんでした。覆いをする、もう一つの理由は輝きが永遠ではないことを隠す為でもありました。しかし新しい契約の栄光は消え去る事はありません。実は覆いをかけられたのはモーセだけではなく、聖書の本当の意味にも覆いがかけられて人々は理解できなかったのです。しかし主の方を向くことによって、覆いは取り除かれます。主の霊によって、主の栄光を映し出す鏡のように作り変えられ、主に用いられるのです。