Ⅱコリントの信徒への手紙7章 人生のトンネルの意味

「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」Ⅱコリント7:10

助産師永原のちょっと一言
パウロはマケドニアで傷心の思いで過ごしていました。あれほどのパウロでも心が萎えることがあるのですね。でもちゃんと神さまはテトスを遣わしてくださいました。パウロの心の多くを占めていた憂いはコリントの教会のことだったたので、その朗報を得た時のパウロの喜びは如何ばかりかが想像できます。私も同じような経験をすることがあります。本当に心が萎え、立ち尽くしてしまうような事態に直面した時、全く別のところから私を支持してくれる言葉や事態がやってくることがあります。神は試練を与えられますが、逃れの道も与えてくださる。それと共に、試練と言うトンネルを脱出するまでにも「大丈夫、このトンネルは必ず抜けれるよ」「あなたは間違っていないよ」というサインを下さるのです。それを偶然と気に留めずに流すか、神の言葉と受け止めるかは各自の信仰だと思います。

聖書要約
愛する皆さん、私たちは神の子となる素晴らしい約束を頂いているのですから、悪なるものと縁を切り清い生活をしましょう。
グッド教会の悔い改めを喜ぶ
どうか心を開いてください。私たちはあなた方に害を与えたりだましたり、利用したりした事はありません。生死を共にするほどの信頼を寄せていますし、私はあなた方を誇りに思っているのです。私はエペソ伝道を終え、マケドニアに行った時、外からの圧迫、また心には恐れがあり、全く平安がありませんでした。しかしそのような私の元に待ちに待っていたテトスがやってきてくれたのです。テトスがあなた方のところで素晴らしいときを過ごしたことを聞いて、どんなに嬉しかったことでしょう。また、あなたがたが私の訪問を楽しみにしていることや、この前の事件で嘆き悲しんでくれていること、また私に忠実に従ってくれていることを彼から聞き本当に喜びました。前に送った手紙であなた方を悲しませたことを後悔していましたが、今は違います。あなた方は一時は悲しんだかもしれませんが、その為に神に立ち返るチャンスを得たのです。クリスチャンの悲しみは永遠の命を求めさせるものですが、世の悲しみは真の意味で悔い改めにつながりません。手紙によってあなたがたがどんなに私たちのことを思っていてくれるかが神の前に明らかにされました。それが何よりの私の喜びです。その上テトスの喜びも加わって益々喜びが増しています。実は私はテトスが出かけるときにあなた方のことを誇ったのです。その事は間違っていませんでした。全ての点であなた方を信頼できることを喜んでいます。