Ⅱコリント人への手紙13章 愛と平和の主が共に

助産師永原のちょっと一言
パウロがコリントに行こうとしているのは3度目です。1節後半の二人三人の証人という文章は申命記9:15の引用ですが、「2度3度と自分自身の目で確かめたのだから」という箇所の引用です。次に「容赦しません」ときつい言葉が書かれています。コリントの人々はパウロの述べていることがキリストから出ていることなのか証拠が欲しいと言ったのですが、そのことに対してパウロの口調が強くなったのです。「キリストの人間としての弱さは十字架で死に、いまや復活のキリストは神の偉大な力を受けて生きておられます。キリストの力を頂いて弱い私もあなた達に対して強くなれます。」と。コリントの教会はユダヤ教主義者たちによって相当の混乱状態だったのでしょう。パウロが伝道し、愛して止まないコリントの教会が主から離れていくのを耳にして、パウロは怒り、嘆き、期待などの感情が交錯する中で手紙を書いたのでしょう。

思いが通じないことは本当にもどかしく辛いものです。そのことに思いがあればある程、落胆は大きいです。しかし通じなくても、わたしたちには祈ることができます。それによって心に平安を得ることができます。憎しみからはよいものは生まれません。愛と平和の神が共にいてくださるように喜びの心を持ち続けたいです。

聖書要約

結びの言葉
わたしがあなた方の所に行こうとしているのは3度目です。旧約聖書に「二人か、三人に目撃されたことは罰せられなければならない」とあるように、今度の訪問で3度の警告になりますから、(もし悔い改めてなければ)容赦はしません。あなた方がわたしの述べていることがキリストから出ていることなのか証拠が欲しいと言ったことに対して証拠を見せましょう。キリストの人間としての弱さは十字架で死に、いまや復活のキリストは神の偉大な力を受けて生きておられます。キリストの力を頂いて弱い私もあなた達に対して強くなれます。あなた方はクリスチャンとして信仰を持って生きているか吟味しなさい。クリスチャンとして合格していますか。クリスチャンの振りをしているだけではありませんか。主の力を頂いて生きていますか。私がどんなに軽蔑されようともいいのです。あなた方が信仰をしっかり保ってくれることを願っています。そちらに行ったときに厳しい態度を取らなくても済むように今厳しく言っているのです。罰する為ではなく信仰を高めあう為に行きたいのです。
終わりに、喜びなさい。クリスチャンとして成長して調和のとれた信仰生活をしなさい。互いに励ましあいなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば愛と平和の神があなた方と共にいてくださいます。