Ⅰテサロニケ人への手紙2章 神の言葉を受け入れた時に

「あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。」Ⅰテサロニケ2:13

くぅ~ママのちょっと一言
パウロは激しい迫害の中でテサロニケに行きました。神様から勇気を与えられて福音を宣べ伝えたのでした。テサロニケの信徒達は福音を神の言葉として受け取りました。信じたので「神の言葉があなた方の内で生きて働いた」と書かれています。色々な聞き方があると思います。頭上を飛んでいくような聞き方、頭で理解する聞き方、心に受け止める聞き方、心が揺さぶられ何かせずにはおれなくなるような聞き方…神の言葉を心から受け入れ、内から変えられるように願いながら、神の言葉を聴きたいと思います。

聖書要約
テサロニケでのパウロの宣教
愛する皆さん、わたしがあなた方のところに行ったことは無駄ではありませんでした。わたしはそちらに行く前に、フィリピで散々な目に遭いました。しかしわたしは神に勇気づけられて、激しい苦闘の中であなた方に語ったのです。わたしは神に認められ、福音を委ねられているからこそ語ったのです。聞くものの好みに合わせて語るような事はなく、神さまの真理を話しました。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。使徒とし賞賛されることも求めませんでした。それどころかわたしはテサロニケの人々を母親が子を思うように愛おしく、命をも差し出しても良いというほど愛し、負担をかけないように昼夜働きながら、福音を宣べ伝えたのです。また父親のように一人ひとりに呼びかけ、励ましました。そのようにして宣べ伝えた福音を信徒達は神の言葉として受け入れました。その神の言葉によって信徒達は変えられのです。同胞人から苦しめられると言う事はイエスに結びついている教会に倣うようになったのです。ユダヤ人はイエスを十字架につけたばかりでなく、キリスト者を迫害し、異邦人伝道を妨害し、罪を重ねているのです。神の怒りは爆発するでしょう。
テサロニケ再訪の願い
離れてからかなりになるので、会いたいものですが、いつもサタンによって妨げられました。イエスの再臨の時に私たちに希望と喜びを与え、誇りの冠となってくれるのはまさにあなた方であり、あなたがたはわたしの喜びなのです。