テトスへの手紙3章 わたしたちの業によってではなく、主の憐れみによって
「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。」テトス3:5
助産師永原のちょっと一言
パウロは手紙の終わりにクリスチャンとしてあるべき態度について述べます。それを勧めるにあたって、かつては自分も罪の中にいたのだが、神の憐れみによって罪から救われ、善い行いをする者として作り変えられたのだと述べます。救われた者はキリストによって「義」とされるのですが、「義」とは「神の目に適う者とされる」ことです。それは旧約の律法を守ることで与えられることではなく、私の罪のために十字架に架かってくださった主イエスを信じること(信仰)で与えられるものです。しかし私たちが義とされたのは、私たちの信仰するその前に、ただただキリストの恵み選びがあったことを忘れてはいけません。私たちが神を選んだのではなく、神が私たちを選んでくださったのです。選ばれる資格など何もないのに。神の選びに応答して人生を歩むことが信仰と言えると思います。
また偽教師への対応も具体的に書かれています。1,2度警告しても聞かないときはかかわりを持つなと。私たちにできる範囲は限られています。後は神にお任せすることだと思うのです。
聖書要約
善い行いの勧め
教会員に次のことを指導しなさい。支配者の権威に服従すること、また善い行いをし、悪口やけんかをせず、優しく、礼儀正しくありなさい。そのように勧める私たちも以前は分別がなく、不従順な者で、様々な情欲や快楽を求め、悪いやねたみ、憎しみの中にいた者でした。しかし神は私たちを罪から救い出してくださいました。それは私たちに救われる資格があったからではなく、ただ神の恵みと憐れみのおかげです。聖霊によって私たちは新しく生まれ変えられ、キリストの恵みによって、神の目に適う者とされ、永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。このことは真実です。ですから力強く善い行いをするように教えなさい。
そして愚かな議論や系図の詮索やユダヤ人の掟についての論議を避けなさい。そのような分裂を引き起こすような人がいたら、1.2度の警告を発した後、それでも改めなければ、かかわりを持たないことです。そのような人は正しい判断ができず、悪いと知りながら罪を犯しているのです。
結びの言葉
アルテマスかティキコを派遣するので、着き次第、こちらに戻ってきてください。またゼナスやアポロの旅立ちの世話をしてあげてください。そして助けを必要とする人を援助する習慣を身につけなさい。それが実を結ぶことになるのです
わたしと一緒にいる者たちがあなたに宜しくと言っています。恵みがあなた方一同と共にあるように。