ヘブル人への手紙11章 信仰によって出て行った

「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」ヘブル人への手紙11:1

助産師永原のちょっと一言
この章には「信仰によって」という言葉が19箇所も出てきます。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」著者はこのように、信仰を一言で定義しています。
そして信仰によって義とされた人々が次々と紹介されています。中でも「信仰の父」といわれたアブラハムは神の「出て行きなさい」という言葉に「故郷捨てて、行き先の分からないまま」従いました。私達はこれだけは手放せないと思うようなことをいっぱい抱えて生きていますが、神は手放すことを求められることがあるのです。神の声を聞き、アブラハムのように神にゆだねる生活に踏み出すことが出来たらなんと幸いなことでしょう。必ず祝福が用意されているのですから。まずは神の声を聞きのがさないようにしたいと思います。

聖書要約
信仰
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。旧約聖書の人たちはこの信仰のゆえに神に認められました。また私達は信仰によって、この世界が神の言葉によって創造されたと確信しています。全てのものは「無」からの創造なのです。
信仰によってアベル(創世記4)は兄カインより優れた奉げ物をしたことによって、アベルの献げものが神に受け入れられました。信仰によってエノク(創世記5)は死を経験しないで天に移されました。信仰によってノア(創世記7章)は箱舟を作り、義を受け継ぐものとされました。信仰によってアブラハム(創世記15)は神の言葉に従って「行き先も知らずに」出発しました。サラは信仰によって(創世記18)は高齢にも関わらず子が与えられました。アブラハムは信仰によって(創世記22)イサクを奉げる決心をします。信仰によってイサク(創世記27)は死に臨んで息子達を祝福しました。・信仰によってヨセフ(創世記50)は臨終に際して自分の遺骨をエジプトからカナンに持ち帰えるように支持を与えました。信仰によってモーセの両親(出エジプト2)はパロ王の命令に背きモーセを殺しませんでした。信仰によってモーセ(出エジプト2)はエジプト王という立場を捨てました。また出エジプトのその夜、過ぎ越しの食事をした後、イスラエルの長子が殺されることがないように信仰によって子羊の血を塗りました。そして信仰によって紅海をまるで陸地を渡るように渡ったのです。信仰によってヨシュア(ヨシュア6)は堅固なエリコの城壁を神が与えてくださった方法で崩すことが出来ました。信仰によってラハブ(ヨシュア2)はイスラエルの偵察隊を助けました。その他ギデオン、ハラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、預言者たちのことを語るなら時間が足りません。彼らはみな神を信じました。その信仰によって戦いに勝ち、国々を征服し、正義の政治をし、神から約束した者を受け取りました。ライオンの穴に入れらても守られ、燃え盛る炉に投げ入れらても死なず、剣の危機からも守られ、弱かった者が強められました。死んだ身内を生き返らせていただいた女達もいました。さらに命の復活に与かることを望んで、あざけり、鞭打ち、投獄、殉教、放浪に甘んじた人たちもいました。ところが、これらの人々は望んでいたものを全て与えられたわけではないのです。彼らが待ち望んでいたものは、もっと素晴らしい報いなのですが、それは今私達のために用意されているものと同じなのです。