ヤコブへの手紙4章 主が許して下さるならば
「あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」と言うべきです。」ヤコブ4:15
助産師永原のちょっと一言
クリスチャンの生き方を示す御言葉が満載の4章です。中でも特に教えられるのは「得られないのは求めていないから。」また「動機が自分の喜びのためなら得られない」「私達が神に近づいたら、神が私達に近づいてくださる」「主の御心であれば、あれもしようこれもしようと言うべきです」などです。
「祈りがきかれる」という表現をよくクリスチャンはしますが、これらの御言葉は「きかれるための祈りの姿勢」を示していると言えるかもしれません。ただ「祈りがきかれる」というのは大変主観的なことだと思います。客観的に聞いた人には伝わらない、霊的な流れがあり、それを感じた者は確かに主が働いてくださったと確信します。その積み重ねが揺るがない信仰へとつながっていくように思います。
聖書要約
神に服従しなさい
私達の間で起る戦いや争いはそれぞれの心にある欲望が原因です。人を殺してでも欲しいものを手に入れたがり、力ずくでもと取ろうとします。得られないのは神に願い求めていないからです。もし神に願い求めても得られないときは、自分の楽しみのためという間違った動機で求めるからです。
また、この世の快楽を求めるということは神を敵に回すことになります。わたしたちの愛が不信仰なこの世に向けられた時、神はそのようなわたしたちをねたむほど深く愛されます。そしてわたしたちが悔い改めた時にはもっと豊かな恵みをくださいます。神は高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵をお与えになるのです。神の前に謙遜になったら、悪なる力は離れていきます。神に近づきなさい。そうすれば神は近づいてくださいます。そして罪の生活から足を洗いなさい。神への思いだけで心を満たしなさい。悪いことをしたときは涙を流して心から悲しみなさい。この世の楽しみに興じていた自分を悔い改めて、虚しい笑いや喜びを、心から憂い悲しんで、神の前に謙りなさい。
兄弟たちを裁くな
悪口を言い合うという事は律法の「互いに愛し合いなさい」という御言葉を守っていないばかりか、御言葉が間違っていると裁いていることになりますと。
誇り高ぶるな
色々なことを私達は計画しますが、明日の命の保証はないのです。だから「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。自分に頼ったり、成すべき善を知りながら、しないのも罪です。