ペテロの手紙第二3章 主の日に備えよ

「しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。」ペテロの手紙第二3:10

助産師永原のちょっと一言
終わりの時、終末、再臨、主の日、最後の審判、色々な表現がされていますが、イエス様が再び来られるその日を表しています。その日は突然来るということが聖書に書かれています。そして主を信じる者は新しい世界に住むことができるということです。しかし、神は一人も滅びることがないようにと願っておられるというのです。確かにノアの洪水のときもそうでしたし、ソドムとゴモラの時もそうでした。神の言葉が世界中に行き渡らなければならないのです。既に聖書は世界各国の言葉で訳され、少数民族が住む山奥にも宣教師は出向き宣教します。数年前にフィリピンの山奥で文字のない民族の中に入り、言葉を文字化して、聖書の翻訳をされた虎川先生のお話をお聞きしたことがあります。神を伝えることの出来ない国で困難な中で宣教しておられる先生もおられます。クリスチャンは神の言葉を宣べ伝えるという使命があるのです。

聖書要約
主の来臨の約束
愛する皆さん。わたしは2度目の手紙を書いています。あなたがたに、純真な心を思い出してほしいからです。それは聖なる預言者が語った言葉や使徒たちが伝えた、主の救いについてです。
それは昔、預言者が預言したことであり、神の言葉を伝えた使徒から学んだことです。それは終末(イエスが再び来られる再臨の時)には、真理をあざけり、悪の限りを尽くす者どもが現れるということです。そしてこんなことを吹きかけます。「本当にイエスは再び帰ってくるといったのか?この世界は創られたときから何も変わっていないじゃあないか。イエスが帰ってくるなんてありえない」と。彼らはノアの時代の洪水にことを認めようとしません。もちろん洪水は天地創造のあとのことです。天地は、終末のときに火で全てを焼き尽くすために、そのままにしておくようにと神が命じられたのだとペテロは言います。その日が神を畏れない者は全て滅びますと。
終末がなかなかやってこないのは、神にとっては一日が千年のようで、千年は一日のようだからです。また全ての人が福音にふれ、神を畏れる者となるのを忍耐強く待っておられるのです。主の日は突然やってきます。天は消えうせ、全ての者は溶けてなくなるとペテロは言います。しかしその後新しい天地が創造されるという約束を頂いており、主の目に適うものだけが住むことが出来るというのです。だから再び主が来られたときに喜んでいただけるように精一杯励みなさいとペテロは勧めます。
学識者であるパウロもこのことを多くの手紙で書いていますが、彼の手紙は難しいところがあるので、それをいいことにわざと的外れな解釈をする人がいます。惑わされないようにと警告しています。イエスキリストの恵と知識において成長しなさいとペテロは励まします。