ペテロの手紙第二2章 不義の報い

「彼らは不義の報酬として損害を受けるのです。」ペテロの手紙第二2:13

助産師永原のちょっと一言
ペテロは1章で神の知識の大切さについて語ってきましたが、2章ではその知識を否定する者について語ります。「何をしてもいい」と自由を謳歌しているようですが、実は罪の奴隷になってしまっていると指摘しています。罪の本質は自己中心です。「自分さえよければいい」という不義の世界、享楽の世界ではよい人間関係を築くことは困難です。仲たがい、憎しみ、争い、戦争の根底には自己中心があります。そこから自己中心から解放されることが真の自由なのです。それは他者中心、神中心の生き方であり、喜び、幸せ、平和の世界です。

聖書要約
偽預言者についての警告
かつて偽預言者がいたように、あなた方の間にも偽預言者が現れます。偽預言者は巧妙なうそをつきで主に逆らいますが、その最期は恐ろしい滅びです。多くの人が彼らの教えに引き込まれますが、神は昔からそのような者を厳しく罰してこられました。
 天使でさえ、罪を犯せば最後の審判の時まで閉じ込められ、手加減なく滅ぼされます。また神は、神を畏れないものの住む世界を洪水で滅ぼされました。神の言葉を語ったノアの家族を除いては…。また不道徳の町ソドムとゴモラは硫黄で滅ぼされました。そのような町の中でも正しく生きたロトを除いては…。このように主は正しい人を様々な誘惑から必ず救い出してくださいます。
しかし自己中心で神の目から正しいとされた人をあざけるような者には、主は特に厳しく臨まれます。
神の言葉を否定する偽預言者たちは理性のない動物よりも劣ります。不義、享楽、姦通、まさに呪いの子です。かつてろばの口を通して罪を指摘されたバラムは罪の道をそれ以上進まないように警告を受けました。(民数記22:28)しかし偽預言者たちは干上がった泉のように役に立たず、嵐の時の雲のように落ち着きがなく、その行く手は闇に覆われた落とし穴です。
またやっとの思いで罪から救われた人を再び罪に引き込みます。「やりたいことをやればいい、それが自由だ」と。しかし自由どころか罪の奴隷になってしまいます。罪の生活に舞い戻ってはいけないのです。