Ⅰヨハネの手紙3章 友のために命を捨てるほどの愛

「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」Ⅰヨハネ3:16

助産師永原のちょっと一言
この章は神がどれほど私達を愛してくださっているかということから始まって、「互いに愛し合いなさい」という旧約聖書から新約聖書を貫ぬいて神が人類に語られた大切な教えを説いています。そして兄弟姉妹、互いに愛し合うことが、私達が神に属していることの証拠なのです。そしてまたそのことが神が私達のうちにとどまってくださる保証となるのです。

聖書要約
神の子たち
神はわたしたちをどれほど愛しておられることでしょう。それはわたしたちが神の子とされていることでも分かります。神を知らない世の多くの人はクリスチャンが神の子とされていることを理解できません。でもわたしたちは神の子なのです。この先のことは分かりませんが、ただ、再臨のイエスに出会うとき神の子はキリストと似たものにされるということです。御子キリストを目の当たりにするのですから。
罪は神の心に反することです。イエス・キリストが人となられたのは、私達の罪を取り除くためでした。キリストは何の罪も犯さず、神の心からそれることはありませんでした。キリストの側におり、従順に従うなら罪を犯すことはないでしょう。罪を犯すものは神を知りません。また善い行いをする者は御子と同様正しい人です。罪を犯すものは悪なる力に属しますが、この悪なる力を滅ぼす為にキリストはこの世に来られたのです。神の子と悪の子の区別は明らかです。それは正しいことをしている者、兄弟を愛している者は神に属するのです。
互いに愛し合いなさい
なぜなら、あなたがたは旧約の時代からの教えである「互いに愛し合いなさい」という言葉を聞いています。創世記に記されている兄弟を殺害したカインは弟アベルの正しさに比べ、自身の生活のあまりにも悪いことを自覚して、弟を憎んだのです。このような事は世の常であり、この世の悪なるものが、正しい私達を憎んでも驚く必要はありませんと。人を殺す者には永遠の死が待っています。しかし兄弟を愛することは永遠の命を頂いているのです。「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟たちのために命を捨てるべきです」と口先だけの愛ではなく、誠実に愛し合うではないですか。
神への信頼
このように生きていくことによって神に属していることを益々確信でき、平安がいただけます。もし悪いことをしたと良心の咎めを感じたとしても、それ以上に神はあなたの「その思い」をご存知です。神は何もかもをご存知なのです。そして良心が潔白なら、平安に神の前に立つことができます。また神に求めるものは何でもいただけるのです。良心が潔白とは神の教えを守っていること。神の教えとはイエスキリストの名を信じて、「互いに愛し合いなさい」ということです。このような人の内に神はとどまってくださいます。そのことを私達は聖霊なる神の力によって確信するのです。