第1子を不妊治療で授かってから、

Y.Y 様

2017年11月3日(金)  AM3:19  生まれ

第一子を不妊治療で授かってから、あと2人も自然に授かるなんて、(夢見たことはありましたが、)まさか現実に起こるとは思ってもみませんでした。

 2017年2月後半、まさかまさかの妊娠判明。生むことに迷いはありませんでしたが、“どこで生むか”は悩みました。上の2人は浜松から神戸への里帰り分娩でマナさんでお世話になり、今回もできることなら勿論、マナさんが希望だったのですが、2017年に入ったあたりから父の悪性腫瘍が活発化し始め、2月頃から徐々に具合が悪くなってきていた矢先の妊娠判明だったからです。出産の頃に、父がどうなっているか分からない、母も父の事と私の事と重なるのは大変、それに上の2人も一緒に里帰り(長期)したら母が倒れてしまうし、浜松においてくるにしても主人が仕事しながら1人でこども達2人はみれない(平日ひるまは保育園でも)。

・・・どうしようか悩んでいましたが、主人の「マナさん以外は考えられへんねんやろ?」の声に後押ししてもらい、兎に角“今回もマナさんにお世話になる!”ということだけは早めに決めたのでした。分娩予約の為に久しぶりにマナさんへ電話し、受けていただけると分かった時には、ほっとしました。

 私が3回目のつわりで不調だった頃、父の具合も一気に悪化し、自宅(実家)でのターミナルケアの方針となり、オエオエいいながらも何度か浜松⇔神戸間を新幹線で行ったり来たりし、4/28に看取ってゴールデンウィーク中に初七日を終える頃には、気力・体力共憔悴しきっていて、妊婦であることはつわりが思い出させてくれる、という状態でした。

 ぼちぼち仕事をしながら、毎日の生活をこなしながら、父の事を思い出し涙し、母の事を案じ涙し、(2人目の時と同じ→)長引くつわりをやり過ごし・・・している内に妊娠30週頃。私の状態はなんのその、スクスクお腹の中で育ってくれていた赤ちゃんが遂にアピール(?)し始めました。「逆子がなおらない」。焦り、様々な対処方法を試し、あがきましたがなおらず。でも第一子の時、破水後時間が経って“マナさんで生めないかも”となった時の永原さんの言葉「起こることには意味がある」「赤ちゃんがそれを選んで生まれてくる」を思い出し、覚悟を決め、お腹の赤ちゃんに初めてゆったり声をかけることができました。結果的に35週には自然に頭位に戻っていました。

 里帰りの間、産前1ヵ月+産後1ヵ月、計2カ月も、主人の両親が高松から浜松に来てくれることになり、迷った末、こども2人を浜松においてくることにしました。結果論ですが、神戸に連れてくていても産前は雨が多く、実家に車もないため外遊びや外出が難しかっただろうし、産後も母が大変だったと思うので、浜松で良かったと思います。主人の両親に感謝です。そして母がいない中、2カ月も(これを書いている時点では産前の29日間)元気に過ごしてくれていたこども達に、ありがとう、よく頑張ったね、と伝えたいです。

 お産前の1ヵ月、ひとり暮らしになった母と娘の私とで穏やかな日々を過ごす中で、初めてゆっくりと、父のことなどが話せて良かったです。そういう時間が持てたことにも、感謝です。

 1人目は8日、2人目は4日、予定日より遅れての出産だったので、今回も遅れることは予想していましたが、「生まれる時、よぶから来てね!」「うん!」と長男と約束しており、離れている期間もどんどん長くなるため、なんとか早い時期に・・・と、歩き回っていましたが、一向に生まれる気配なし。またもや「マナさんで生めないかも・・・(それって里帰りする意味あった!?)」モードに入りかけましたが、有難いことに、予定日過ぎての連携の病院では2回共、「待ちましょう」と言って下さいました。41週1日の時には41週5日の誘発分娩説明を受けつつも、「お待ちしてませんので。」と笑顔で言われ、内診の際刺激をして下さいました。その刺激の後から、シクシクと痛みが来始め、お産の流れとなりました。(その夜マナさん入院)

 39週の台風+大潮、40週の台風、父の半年の月命日など、幾多の「今日なのでは!?」予想をとびこえ、上の子たちの様々なイベントも10月31日ハロウィン一区切りつき、もう生まれていなくても主人とこどもたちが神戸に来る!とした11/2の夜23:30頃マナさんに入院となりました。私が母とタクシーでマナさんに着いた時、浜松から高速にのってきた車も同時に、マナさんに到着。すごいタイミング・・・。長女は眠っていましたが、起きた長男と1ヵ月ぶりの再会。部屋で皆でウトウト。陣痛が徐々に強まり、破水した感覚、お産の部屋へ。こども達はぐっすり眠っていたため、あえて起こさず。母と主人(2人共、3回共立ち会ってくれました)に立ち会ってもらい、3:19男の子誕生!

 眠いこども達を無理に起こしてぐずっていたら、お産に集中できなかったと思うので、寝かせておいて正解だったかなと思います。私の場合は・・・。

 お産の部屋では、毎度ですが自分の職業を忘れて・・・というかだからこそ余計な事を考えてしまうのか、「どうしたらいい?」など永原さんに甘えたい放題で、でも全て優しく的確に受け取め対応して下さり、細やかな配慮が心地良く嬉しくて、心の底から安心して生むことができました。

 2人目以降のお産の進みは、体感としてとても速く、気持ちが追い付くのに必死でした。しかしそれと同時に、2人目以降の方が、赤ちゃんが降りてくる感覚など、内側の感覚が分かるようになってきて興味深かったです。

 毎回感じる、赤ちゃんの体がジュルンっと出た瞬間のあの解放感、高揚と安堵・・・もう感じることができないと思うと少し寂しい気もしますが、3回人生で経験する機会があったことは幸せでした。

 産後も、暖かく包み込まれるような幸せな入院生活を送ることができ、幸せ過ぎて涙が出てきます。永原さんはじめスタッフの皆様、本当にありがとうございました。マナさんでもっともっと幸せな思いとなるママ達が増えますように・・・

 因みに、今回お産が2~3時間うしろにズレていたら、永原さんは助産院にいらっしゃらなかったそうです。なんてタイミング・・・パート2。

 出産後の朝、長男に「なんで起こしてくれなかったの!?」と怒られるかと思っていましたが、一度の説明で納得し、ニコニコ赤ちゃんを触っていました。長女も起きて一カ月ぶりの母、そして初めて見る弟に、最初はボーっとしていましたが、泣くことなく「アカチャン カワイイネェ」と言ってくれました。会わなかった1ヵ月で急に言葉が増えて、私が寂しさを感じるくらいです。

 まとまりない文章になってしまいすみません。

 生と死、命のバトン、命の奇跡・・・深く考える機会の多かった2017年でした。永原さんやマナのスタッフの皆さんの器の大きさを目指し、仕事、子育てに取り組み、日々をなるべく丁寧に、生きていきたいと思います。本当にありがとうございました。

 最後に主人に。3人のお母さんにしてくれてありがとう。大変な毎日になると思うけど、楽しんでいこうね。