創世記2章 ふさわしい助け手

「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」創世記2:18

助産師永原のちょっと一言
1章、2章と時間が交差して書かれています。さっと読むと意味が分からなくなりますがこういうことです。1章では単に「男と女に創造された」となっていたのですが、2章では天地創造を振り返って、人間の創造という大切な部分を「アダムの助け手として女が造られた」とその詳細が書かれています。
 女はふさわしい助け手となっていますが、これはパートナーということで、主従の関係ではありません。対等な向き合う関係を示しています。妻は夫のよいパートナーとしての使命を自覚し、夫は妻をパートナーとして大切に守っていかなければなりません。対等と言っても、男女それぞれに与えられた役割の特徴があります。産む可能性のある「性」とそれを守り支える「性」です。産む可能性のある女性は男性ほど筋肉質ではありません。それぞれの特徴を生かした生き方で支えあいたいものです。

さて聖書には二人は裸でいても恥ずかしくなかったと書かれていますが、お互いはそのままを認めあう関係であり、性そのものは祝福されたことです。
エデンから流れる川が書かれていますが、この地名などから考えても、エデンがどこに位置していたかは推測できないようです。
エデンの園の中央の、「善悪を判断する」木の実は食べてはいけないと神はお命じになりました。この「善悪」とは道徳的なことではなく、全知全能の神のようになるという大切な意味があります。

聖書要約
全世界は完全に出来上がりました。神は第7日目に仕事の手を休め、この日を祝福して聖なる日と定められました。
初めは大地には一本の木も生えていませんでした。神は雨を降らせることはなさらなかったし、地を耕す人もいませんでした。しかし大地のあちらこちらから水が湧き出て地を潤していました。やがて神は人をお造りになるときがやってきました。神は地のちりで人(アダム)を作り、息を吹き入れられて人格のある生きたものとされました。そして東の方にエデンの園を造られて、そこに人を住まわせました。園にはあらゆる種類の木が植えられて、美味しい実をつけました。園の中央に「いのちの木」と「善悪を判断する木」がありました。そしてエデンの園には4つの川が流れていました。第1はピション川、その流域は金や香りのよい木や琥珀などが採れました。第2はギボン川、クシュ地方を潤します。第3はチグリス川、第4はユーフラテス川です。
神は人アダムをその園の番人にしました。園のどの果物を食べてもいいが、ただ、「園の中央の善悪を判断する木の実は食べてはいけない、食べると必ず死んでしまう」と神は人にお命じになりました。
神は人が一人でいるのはよくないと考えて彼の助け手を造ろうと考えられました。あらゆる種類の動物や鳥を人のところに持って来て、人に名前をつけさせました。しかし人の助け手になるようなものは見つかりませんでした。神はアダムをぐっすりとねむらせ、アダムの肋骨の1本を取り出し、それで女をお造りになりました。アダムは「ぴったりです。まさに私の半身です。男〈イーシュ)から造ったから女(イシャー〉と呼ぶことにします」と。こういうわけで、人は両親の元を離れ、妻と結ばれ二人は一体となるのです。このときは二人は裸でしたが、恥かしいとは思いませんでした。

次の記事

創世記3章 罪の根源