創世記21章 神が共におられたので

が少年とともにおられたので、彼は成長し、…」創世記21:20

くぅ~ママのちょっと一言
21章は3つの出来事からなっていますが、その一つがイサクの誕生です。年老いて子が与えられたサラの喜びが伝わってくるようです。サラは以前、男の子が与えられると神の約束を聞いたとき笑ったので、神にとがめられます。(18章)アブラハムも同様でした。(17章)しかしここではイサクが与えられ、本当に心からの喜びの笑いに変えられました。人間的な知恵からは「そんなバカなこと」「あり得ないわ」と嘲笑したくなるようなことでも、神さまのご計画であるなら実現するのです。そしてその時心から喜ぶ者に変えられます。人間的な尺度で物事を見るのではなく、いつでも、どんな時でも神のご計画(みこころ)にフォーカスすることだと思います。
一方、サラに追い出され、ベエル・シェバの荒野をさまよっていたハガルとイシュマエルですが、死を覚悟した時に主の手が差し伸べられました。そして神が共におられたので、イシュマエルも成長していったのです。これもまた神のご計画と言うほかありません

聖書要約
イサクの誕生
神は約束どおりサラに男の子を与えてくださいました。そしてイサク(笑い声の意)と名づけ、8日目に割礼を受けさせました。サラは「神様が私に笑いをお与えになった」と喜びました。やがてイサクが乳離れしたその日、アブラハムは盛大な祝宴を開きました。
ハガルとイシュマエル
サラはハガルが産んだ子どもイシュマエルがイサクをからかっているのを見て、アブラハムに二人を追い出して欲しいと頼みます。アブラハムは大変心を痛めたのですが、神がアブラハムに「サラの言うとおりにしなさい。イシュマエルもあなたの子なのだから一つの国民の父とする」と約束してくださいました。そこでアブラハムは翌朝早く、ハガルにパンと水の皮袋を持たせて子どもを連れて去らせました。
ハガルとイシュマエルはベエル・シェバの荒野をさまよっていましたが、とうとう皮袋の水は底をついてしまいました。ハガルは「子どもが死ぬのを見るのは見ていられない」と言って、子どもを低木の木陰の下に置いて少し離れたところで泣き崩れました。その時天からの使いの声が聞こえました。「恐れる事はない。神は子どもの泣き声をお聞きくださった。子どもをしっかり抱いてやりなさい。必ずあの子を大きな国民にするから」と。はっと気がつくとそこに井戸があり、水を飲むことが出来ました。その後も神がイシュマエルと共におられました。母は彼のためにエジプトから妻を迎えました。
アビメレクとの契約
アビメレクと軍隊の長ピコルがアブラハムに言いました。「あなたは何をしても神に守られています。それは誰が見ても分かります。今後も私たちと友好的な関係でいてください」と。アブラハムは承知しました。しかしその時アブラハムは王の召使がアブラハムの召使を脅して、井戸を奪い取ったことで不服を申し立てました。王は非を認め、アブラハムはさらに7頭の雌の子羊を王に差出、井戸を掘ったのはアブラハムであり、所有権はアブラハムであることを認めるために契約を結びました。そして、そのところをベエル・シェバ(誓いの井戸の意)と名づけ、アブラハムは井戸の側に柳の木を植え、神に祈りました。アブラハムはペリシテ人の国で長く寄留しました。