エゼキエル書24章 罪ゆえに嘆け


「あなたの汚れは淫らな行いだ。それでわたしはあなたをきよめようとしたが、あなたはきよくなろうともしなかった。」エゼキエル書24:13

くぅ~ママのちょっと一言
エルサレムを鍋にたとえられており、鍋は神の裁きを表しています。肉は民の指導者たちです。どんなにしても彼らの罪は取り去ることはできないと神は語られました。また預言者エゼキエルは妻の死に際して、悲しみの表現をしないことで、民に次に起こる神の裁きを預言しました。「声をあげずに悲しめ」とありますが、悲しんではいけないとは書かれていません。「死」についてですが、クリスチャンにとっても親しい人の死は悲しいです。しかし天国でまた会えると信じていますから、悲しみの中にも大きな希望を見ています。だからクリスチャンの告別式は悲しみばかりではないのです。

聖書要約
火の上の鍋
ゼデキヤが捕囚となって9年目のこと、神がお語りになりました。「人の子よ、今日の日付を書き留めなさい。今日バビロン王がエルサレムに攻撃をしかけたからだ。反逆したイスラエルの人々に例えで神の言葉を語れ。『鍋に水を入れて、火にかけよ。そこに最良の肉のいっぱい入れよ。また最上の羊の骨をその下に積み重ねよ。骨の中まで煮えるようにせよ。』神は語られる。殺人の町エルサレムは錆びついた鍋のよう。その錆は取れない。くじを引くことなく肉を取り出せ。どの肉も皆同じだから。平気で人を殺し、その血が岩にたれても隠そうともしない。だから神はさらに薪をくべ、肉汁を出し、骨を焦げ付かせ、また鍋を真っ赤になるまで空炊きしても、厚い錆は取り除かれない。その取り除かれない錆はあなた方の偶像を礼拝する行為そのものだ。私があなた方を裁くまでそれを止めることはないだろう。
エゼキエルの妻の死
また神がお語りになりました。「あなたの愛する妻が取り去られる。しかし悲しみの表現をしてはいけない。決して泣くな。普段の服装をし、慰めのパンを食べるな。」と。そのことをエゼキエルは朝、民に語ったのですが、その日の夕に妻が急死したのです。エゼキエルは命じられた通りにしました。人々が「どんな意味があるのか」と聞いたので、彼は神の言葉を語りました。「あなた方の誇る神殿を破壊する。またユダにいるあなた方の息子、娘を剣で殺す。その時、私がしたのと同じようにあなた方も悲しみを表すことはしないだろう。ただ自分の犯した悪事を嘆くばかりだろう。その日、難を逃れた者がバビロンにいるあなた方の元に来てこの事を伝える。彼らは私が主であることを知るだろう。」と。