申命記11章 「恵みの雨に潤されて」

「見よ、私は今日、あなたがたの前に祝福とのろいを置く。」申命記11:26

くぅ~ママのちょっと一言
神の言われている事は単純明快です。目の前には祝福と呪いが置かれているのです。さああなた方はどちらを取りますかと言うわけです。もちろん祝福をいただきたいです。旧約聖書においてはそれは神の戒めを守ることでした。
神さまとの新しい契約に生きる私たちはイエスキリストが十字架にお架かりになったのは私の罪の贖いのためであることを、信じれば⇒永遠の命が与えられ、信じなければ⇒永遠の滅び なのです。大変分かりやすいと思います。元々聖書は神から私に宛てられた愛の手紙であり、どのようにしたら豊かな人生を送ることが出来るかが書かれているのです。

聖書要約
主の御業
出エジプトを経験したあなたたちは(大人であった人は約束の地カナンに入れませんでしたが…)そのような経験をすることがない子孫とは違って特別な世代です。それは神の御業を直接体験しているからです。たとえば、エジプトを出るときの10の災いによってエジプトを出ることを神は可能にしてくださいました。紅海では水が分かれてイスラエルの民は紅海を歩いて渡ることができました。また荒野でモーセに逆らった者たちが神に裁かれて地に呑まれました。それらをあなたたちは見てきたではありませんか。あなたたちは戒めを守れば、約束の地に入り乳と蜜の流れる土地で長く生きることができるのです。エジプトでは水を足でくみ上げて耕作しましたが、これからあなたたちが入っていく土地では恵の雨に潤されて作物が取れるのです。そこは神が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる土地なのです。
祝福と呪い
神を愛し、心と尽くし、魂を尽くして仕えるなら祝福が用意されているのです。それは恵の雨、豊かな収穫、肥えた家畜、満足な食事が与えられます。しかし神を忘れ、他の神々に仕えるようなことがあれば、雨は降らず、大地は実りをもたらさず、土地は滅びるのです。ですから、神の戒めを心に留め、魂に刻み、しるしとして手に結び、覚えとして額に付け、子どもたちに教え、家に座っている時も、道を歩く時も、寝ている時も、語り聞かせ、戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
戒めをまもるなら、これから踏み込む土地はすべてあなた方に与えられます。あなた方の前に祝福と呪いを置くと主は言われるのです。シケムの聖所の南側にあるゲリジム山に祝福を、北側のエバル山に呪いを置くと主は言われたのです。