ヨシュア記3章 「信仰の第一歩」

「一つの堰が、はるかかなた、ツァレタンのそばにある町アダムで立ち上がり、アラバの海、すなわち塩の海へ流れ下る水は完全にせき止められて、民はエリコに面したところを渡った。」ヨシュア記3:16

くぅ~ママのちょっと一言

モーセが民を率いて干上がった紅海を渡ったことと同じことが、ヨルダン川でも起こります。神がヨシュアと共におられることが示されたのです。ところでこのよう自然現象は実際に起りうるのだそうです。アラブの歴史家によれば、1267年12月7日に数十時間。また1906年、1927年にも起ったとのことです。

ヨシュアが川を渡ろうとした時に水がダムのようにせき止められたことを偶然の自然現象と見るか、神のみ業と見るかは、それぞれの信仰によるのだと思います。神を信じる者からすると神には出来ない事はないので、神の御業と素直に受け止めることが出来ます。そしてさらに大切なことは神の言葉を聞いて足を一歩ヨルダン川に踏み入れることです。水が岸まであふれんばかりに増え、しかも激流の川に、足を踏み入れるのは、信仰なくしては出来ないことです。そしてその一歩がなければ神の奇跡を見ることができないのです。私たちも勇気をもって1歩踏み出す信仰を持とうではないですか。

聖書要約
ヨルダン川を渡る
ヨシュアは滞在していたシティムを出発して、ヨルダン川の岸について3日野営しました。目指すカナンの地を川の向こうにして主はヨシュアに「わたしがモーセと共にいたように、あなたと共にいることを全イスラエルの民に知らせる。ヨルダン川を渡るに際して、神の箱(十戒が記された2枚の板が入っていた)を担いで祭司がヨルダン川をまず入り、その後に続くように。神の箱との間を約900mとり、それ以上近づいてはいけない」と言われました。ヨルダン川は春の借り入れの時期で、岸いっぱいに水をたたえ、激流でした。ところが祭司が足を水に入れたその時、水はダムのようにせき止められ、川底が現れたのです。祭司は川の真ん中ほどに立ち待っていている間に民が全員渡り終えたのです。