士師記10章 「苦しみを見ておられる主」

「…主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられた。」士師記10:16

くぅ~ママのちょっと一言
10章では次々と士師が立てられます。士師はリーダーとして民を導いたことが分かります。リーダーがいる時、民は神に従うことが出来るのですが、いなくなると偶像礼拝をするようになってしまうのです。出エジプトにもモーセがシナイ山に入っている40日間に、麓で待っていた民が金の子牛を造ったことでにが裁かれたことが書かれています。

人間は目に見えない神さまを信じることより、目に見えるものを拝んだり信じたりする方が容易いのかもしれません。しかし、よくよく考えてみれば、超自然な神さまを見える形で現す方が信じがたいように思います。朽ちたり、さびたり、持ち運ばないといけないような対象を拝む方がなんだか嘘っぽい感じがしてなりません。

後半の部分は次の章に行く為の序文です。アンモン人と戦う人が11章で現れます。

聖書要約
トラ
アビメレクの死後イスラエルを救うためにトラが士師として立てられ、23年間イスラエルを裁きました。
ヤイル
その後ヤイルが22年間士師として立てられました。
イスラエルの罪と罰

ヤイルの死後また民は神の目に悪とされることを行いました。バアル、アシュタレト、アラム、シドン、モアブ、アンモン、ペリシテの神々に仕え、真の神を忘れてしまいました。神は怒りに燃え、イスラエルの民をペリシテ人とアンモン人の手に渡されたので、民は18年間苦しみました。耐えられなくなった民は神に救いを叫び求めました。しかし神は「あなたがたが仕えていた神々に救ってもらいなさい」と言われます。人々は異国の神々を一掃して神に仕えるようになりました。神はイスラエルの人々はこれ以上耐えられないと思われました。
 さてアンモン人がギルアドに集結し、ミツパにいるイスラエルの民を攻撃しようとしていた時、ギルアドの人々は自分達を率いてアンモン人と戦ってくれる人はいないものかと思っていました。その人をギルアドの頭としようと話し合っていたのです。