士師記9章 「勧善懲悪が成り立つか」

「こうしてシケムの人々は、エルバアルの子ヨタムの呪いをその身に受けることとなった」9:57

くぅ~ママのちょっと一言
勧善懲悪の結末は聞く者、見る者を勇気付けます。この章ではアビメレクとシケムの人々の悪事は報復され、ヨタムの呪いも成就します。 しかし現実の生活ではそういう結末ばかりでないことを私たちは経験します。悪行を尽くして平然と生活している傍らで、正しい者が涙を流すこともあります。目に見える世界だけを考えると割の合わないなあと思うこともあるでしょう。反対に誤解を受けて辛い時、濡れ衣を着せられて悔しい時、真実を尽くしても分かってもらえない時、天では正しい評価がされていることもあります。天の評価がある事を忘れてはいけません。この世での評価より、天での評価の方が大事です。最後に栄えるのはやはり神にあって正しい人であり、裁かれるべきは神の目に悪いことをする人とすれば、勧善懲悪は天において完全に成り立つことなのです


アビメレクの過ち
 エルバアル(ギデオン)の側女の子アビメレクは母方の家族が属するシケムの人々を味方につけて、ギデオンの69人の子どもを殺害して王になりました。しかし末の息子ヨタムだけは身を隠して生き延びていました。ヨタムはアビメレクが王になったことを聞き、寓話を持ってシケムの人々とアビメレクを非難します。それはオリーブの木、いちじくの木、ブドウの木に王になって欲しいと頼むのですが、これらの木々は王になる事は自分の本来の仕事ではないと断わり、やむなくいばらが王となるというのです。すなわち王の風格を称えた子どもたちが王にならないのに、側女の子であり王にふさわしくないようなアビメレクが王になったことを批判しているのです。そしてヨタンはもしシケムの人々やアビメレクが間違っているなら滅びるだろうとのろいの言葉を発して身を隠しました。
 一方アビメレクは3年間イスラエルを支配下におきますが、シケムの首長たちはアビメレルを疎ましくなり、ついには裏切ります。エベドの子ガアルをシケムの首長達は信用して仲間に引き入れたのです。祝宴を催した時に首長たちがアビメレルを嘲たのに乗じて、ガアルが「アビメレクは自分が成敗する」と豪語したのです。それをゼブルンがアビメレクに知らせたことによって、ガアルとアビメレクは一戦を交えることになりました。ゼブルンはガアルが怖気づいているのを知っていました。そして戦いをけしかけたのです。案の定ガアルは敗走しシケムから出て行きました。アビメレクはミグダルシケムの人々を打ち払い、続いてテベツの町を攻撃しようとしましたが、その時、女が挽き臼をアビメレクめがけて投げたので、アビメレクの頭蓋骨が砕かれてしまいました。瀕死の状態でしたが、女に殺されたという不名誉な死に方はしたくないと従者に止めを刺させたのです。これを見た人々はそれぞれ自分の家へと帰っていきました。このようにしてアビメレクとシケムの人々の悪事の報復が果たされたのです。