士師記13章 「主の霊が臨む時」
「その子は大きくなり、主は彼を祝福された。」士師記13:24
くぅ~ママのちょっと一言
この章にかかれている「ナジル人」とは聖別された者という意味で、ぶどうから取れるものを食べない、濃いお酒を飲まない、そのほか頭の毛を剃らない、死体に近づかないなどを守らなければなりませんでした。
一定の期間請願をたてて、その期間ナジル人として生活する事は民数記の6章に書かれていますが、この章に登場するサムソンは胎内にいた時から死ぬまでナジル人として神に選ばれた者でした。
私たちクリスチャンにはナジル人として生きる事はもとめられませんが、ローマの信徒への手紙12:1に「自分の体を聖なるいけにえとして献げなさい」と、クリスチャンとして生きる姿勢が書かれています。それはまさしく聖別された者の生き方と言えます。私たちは日々、聖なる者として、神のご用のために家庭に、地域社会に、職場に使わされるものでありたいと思います。
サムソン
イスラエルの人々は、またも神の目に悪とされることを行ったので、40年間ペリシテ人の支配下に置かれるようになりました。神がそのようにされたのです。
ある日のこと、ダン族のマノアの妻の所に、神の御使いが現れました。妻は不妊でしたが、御使いは妻に男の子を産むと告げたのです。さらに「ぶどう酒や強いお酒、禁じられた食べ物は口にしてはいけません。その子をナジル人として育てなさい。その子はイスラエルをペリシテから救い出すことになる。」と告げたのです。妻は夫のマノアにそのことを話しました。マノアは「もう一度その方を私たちの元にお送りください。子どもをどのように育てたらいいのか教えてください」と祈りました。その祈りは聞かれ、今度は夫婦でその方に会うことができました。名前を尋ねたところ「不思議という」との答え。マノアは献げ物ささげました。炎が天に昇る時、御使いも天に昇って行きました。それで夫婦はその方が御使いである事を知りました。やがて妻は男の子を産み、サムソンと名付けました。サムソンは神の祝福の内に成長しました。神の霊がサムソンに臨むと、力が奮い立つのです。