サムエル記第一16章 「心を見られる主」

「人はうわべを見るが、は心を見る。」サムエル記第一16:7

くぅ~ママのちょっと一言
ダビデが神に選ばれたことが記されています。ダビデはルツ記に登場するボアズとルツの間に生まれたオベドの孫に当たります。そしてダビデの14代後に神の御子イエスキリストが人の子となってお生まれになります。ダビデは中世の彫刻でも有名ですので、沢山の方に馴染みのある人物だと思います。ダビデが王として選ばれた時には、一番年下の選ばれるにふさわしくないような存在だったようです。それは「人は姿かたちを見るが、神は心を見られる」という言葉からも想像することが出来ます。神は外見ではなく内面を見られる方です。どんなに着飾っても、体裁を整えても、言い訳しても神は「心」を見ておられるのです。だからいつもきれいな心で生きようと思います。したことや思いが理解されなくて悔しい思いをするような時も、神はその心をご存知なのです。人に認められなくても神が分かってくださっているということはなんと嬉しいことでしょうか。

聖書要約

ダビデ。油を注がれる
神はサムエルに、「いつまでもサウルの事を嘆く必要なない。私はサウルを退けて、ベツレヘムのエッサイの子の中に王となる者を見出した」と言われました。神は「いけにえを献げるために町に行き、エッサイの子どもたちをやってこさせるように」と、言われました。サムエルは長男エリアブを目に留め、「この人が王になる人だ」と思ったのですが、神はサムエルに「容姿や背の高さに目を向けるな。私が彼を退ける。人間が見るように見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と言われたのです。7人の息子がサムエルに会いましたが、神は誰も選ばれなかったのです。「あなたの息子はこれでけですか」と、サムエルはエッサイに尋ねると、「羊の番をしている末息子ダビデがいます」とのこと。そこでダビデを連れて来させました。すると神から「彼に油を注ぎなさい」と、王になる者であるとの指示があったのです。 その日からダビデに神の霊が激しく下るようになりました。

ダビデ、サウルに仕える
一方神の霊が離れたサウルは、神から来る悪霊にさいなまれるようになります。竪琴を弾く者に宥めてもらおうという家臣の勧めもあって 、竪琴の上手なダビデがサウルの元に呼ばれました。王は大変ダビデを気に入り、王の武器を持つ者に取り立てました。そして神の霊がサウルを襲うたびにダビデが竪琴を弾くと悪霊は彼を離れたのです。