ヨブ記10章 「ご加護」

みをもって私にいのちを与え、あなたの顧みが私の霊を守りました。」ヨブ記10:12

くぅ~ママのちょっと一言
生きることが嫌になったと言ったヨブは神に自分を責めないように願い、神が人をお造りになられた意味について否定的な言葉を投げかけます。そして最後には生まれてきたことを後悔しているのです。しかしヨブの心の底は神に信頼を置いていることが分かります。ヨブは心からの祈りを神に訴えているのです。
クリスチャンも一日の内で幾度となく祈ります。その祈りがすぐに応えられることもあるし、随分経って応えられることもあります。そういえば私の祈りは応えられていたんだと気がつくこともあります。祈っても、祈っても好転せず、むしろ逆の方向に行ってしまうような時は祈りに力が入らなくなってしまいます。しかし私たちが信頼を置くのは神様しかありません。神は私たちを見離されたわけではないのです。ただ必要があって沈黙されているだけ、この信仰に立ちたいです。

聖書要約
ヨブの言葉が続きます。
「生きることさえ嫌になった。神様、私を責めないで下さい。私と争われるわけを聞かせてください。神さまが造られた私を退け、悪人に光を与えられる。あなたも人間のように不公平なのですか。あなたは私の罪を追及される。私が背くものでもないし、私を救う者はないことを知りながら。私をお造りになり、命と恵を約束してくださり、あなたの慈しみがあったからこそ私は今日まで生きてこられたのです。しかしあなたは最初から私がちょっとでもあやまちを犯そうものなら、容赦なく滅ぼそうと考えておられたのです。
なぜ私を生まれさせられたのですか。主よ、私から少しの間離れていてください。死ぬ前につかの間のやすらぎを味あわせてください。死に逝く場所は暗黒の世界なのです。